政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
日本庭園を望むことができる加賀家の廊下を隆之が由梨を抱いたまま進む。
少しひんやりとした空気が火照った由梨の身体に心地よく感じた。
隆之の香りに包まれて、ゆらゆらとした振動も心地よく、由梨は思わず目を閉じる。
そしてそのまま夢の中へ行きそうになったが、ハッと気がついて目を開けた。
恐る恐る隆之を見上げると、廊下の先を見つめる精悍な顔つきにどきりと由梨の胸が騒ぐ。
「しゃ、社長。」
由梨は勇気を振り絞って呼びかける。
隆之は由梨を見下ろして足を止めた。
そして眉を寄せる。
「もう式をあげたのだから、名前で呼べ。」
由梨は回らない頭を叱咤して考える。
「名前って…隆之さん…?」
そうだと隆之は微笑む。
呼び名が変わるだけでぐんと距離が近くなった気がした。
「お、お酒には弱くない筈なんですが…、すみません。」
由梨はか細い声で弁解をする。
ここのところ過密スケジュールでずっと気を張っていた。
疲れが出たのだろうが、最後の最後に失態を演じてしまったと由梨は恥いる。
小さな子供じゃあるまいし抱っこで部屋まで運んでもらうなど玄関で出迎えた秋元はきっと呆れたに違いない。
「気にするな。披露宴では地酒を随分勧められていただろう。…あれは口当たりはいいが、後からクる。この地の古い風習で、花嫁にはあの酒を勧めることになっている。それにしても親父どもめが、面白がって…。大丈夫か。」
その風習は由梨もあらかじめ聞かされていた。
だから断らなかった。
それに地酒はほんのりと甘く爽やかで美味しかった。
けれどおもしろがってとはどういうことだろうと由梨は首を傾げる。
潤んだ瞳で彼を見上げていると、隆之は咳払いをして由梨に囁いた。
「雪国の者達は酒に強い。あの地酒は緊張をほぐす効果があると言われていてね。…つまり初夜に臨む花嫁には必要だと言われている…もう鵜呑みにするのは年寄りくらいだが。」
隆之の言葉で風習の意味を理解した由梨は全身に火がついたように熱くなった。
古くからの習慣が残っているのは伝統ある加賀家だからだろう。
隆之は内容を説明したに過ぎない。
けれどどういう経緯でも隆之の口から"初夜"という言葉が出たこと自体に由梨は動揺する。
「…だ、大丈夫です…。」
由梨はかろうじてそれだけ言うと両手で顔を覆った。
とてもじゃないけれど隆之の顔をまともには見られなかった。
正直にいうと由梨は今夜が初夜だということを忘れていた。
いや正確に言うと、わかってはいたが実感がなかったというべきか。
隆之と結婚することが決まってから今日までわずかな時間で全ての準備をしなければならず、由梨は目が回るような忙しさだった。
隆之は準備期間として会社の業務は休んでも良いと言ったが、由梨はどうしてもそれはしたくなかった。
もともと由梨はここで働き続けるために結婚を決意したのだ。
もちろん隆之に大きく惹かれているのも確かだが、だからといってそれだけに自分の全てを傾けるなど とてもじゃないけれど怖くてできない。
それに無責任なことは嫌だった。
そして加賀家のしきたりなど何も分からない中で秋元に教わりながら準備を進めた。
今日はとにかく失敗しないようにと朝から気を張っていて、そのことばかりに気にしていた。
今夜が初夜だということはなんとなく頭の中で後回しだった。
いや、もしかしたら無意識にでも後回しにしたかったのかもしれない。
隆之のプロポーズに頷いたあの夜から今日までキスを交わしたのは夢だったのかもしれないと思うくらいに隆之とは接触がなかった。
今となっては、あのキスはいつまでもぐずぐずと答えを出さない由梨に焦れた隆之の結論を出させるための催促だったのでは、とさえ思う。
そんな相手と夫婦としての触れ合いをどのようにしてゆけばよいのか、由梨には皆目見当もつかない。
もっともあの夜のキスがファーストキスだった由梨にとっては誰が相手だろうと同じようにわからなかったであろうが。
今ここにきてようやく初夜だということを実感し、これからどうすれば良いのだろうと由梨は急に不安になった。
もちろん年相応の知識はあるけれど逆に言えば本当にそれだけだ。
短大の頃の友人たちも由梨と同じようにどちらかと言えば大人しい子ばかりだったから、そういう話は想像の中のことだけで実体験を伴うものはなかったように思う。
(しゃ、社長は大人の男性なんだから、もちろん経験はあるわよね。私で相手が務まるかしら。…どうしよう…。)
仕事ではわからないことはわからないままにせず、その場で聞けとおしえられた。 知ったかぶりをするな、ど。
けれどさすがにこのことについては聞くわけにいかず由梨は途方にくれる思いで指の隙間から隆之を見る。
気がつくと隆之は再び歩き出していた。
ゆらゆらと身体に伝わる振動は心地よい。
由梨は再び目を閉じた。
そしてその瞬間、これまでの疲れが一気に解けてついに由梨は夢の世界へいってしまった。
少しひんやりとした空気が火照った由梨の身体に心地よく感じた。
隆之の香りに包まれて、ゆらゆらとした振動も心地よく、由梨は思わず目を閉じる。
そしてそのまま夢の中へ行きそうになったが、ハッと気がついて目を開けた。
恐る恐る隆之を見上げると、廊下の先を見つめる精悍な顔つきにどきりと由梨の胸が騒ぐ。
「しゃ、社長。」
由梨は勇気を振り絞って呼びかける。
隆之は由梨を見下ろして足を止めた。
そして眉を寄せる。
「もう式をあげたのだから、名前で呼べ。」
由梨は回らない頭を叱咤して考える。
「名前って…隆之さん…?」
そうだと隆之は微笑む。
呼び名が変わるだけでぐんと距離が近くなった気がした。
「お、お酒には弱くない筈なんですが…、すみません。」
由梨はか細い声で弁解をする。
ここのところ過密スケジュールでずっと気を張っていた。
疲れが出たのだろうが、最後の最後に失態を演じてしまったと由梨は恥いる。
小さな子供じゃあるまいし抱っこで部屋まで運んでもらうなど玄関で出迎えた秋元はきっと呆れたに違いない。
「気にするな。披露宴では地酒を随分勧められていただろう。…あれは口当たりはいいが、後からクる。この地の古い風習で、花嫁にはあの酒を勧めることになっている。それにしても親父どもめが、面白がって…。大丈夫か。」
その風習は由梨もあらかじめ聞かされていた。
だから断らなかった。
それに地酒はほんのりと甘く爽やかで美味しかった。
けれどおもしろがってとはどういうことだろうと由梨は首を傾げる。
潤んだ瞳で彼を見上げていると、隆之は咳払いをして由梨に囁いた。
「雪国の者達は酒に強い。あの地酒は緊張をほぐす効果があると言われていてね。…つまり初夜に臨む花嫁には必要だと言われている…もう鵜呑みにするのは年寄りくらいだが。」
隆之の言葉で風習の意味を理解した由梨は全身に火がついたように熱くなった。
古くからの習慣が残っているのは伝統ある加賀家だからだろう。
隆之は内容を説明したに過ぎない。
けれどどういう経緯でも隆之の口から"初夜"という言葉が出たこと自体に由梨は動揺する。
「…だ、大丈夫です…。」
由梨はかろうじてそれだけ言うと両手で顔を覆った。
とてもじゃないけれど隆之の顔をまともには見られなかった。
正直にいうと由梨は今夜が初夜だということを忘れていた。
いや正確に言うと、わかってはいたが実感がなかったというべきか。
隆之と結婚することが決まってから今日までわずかな時間で全ての準備をしなければならず、由梨は目が回るような忙しさだった。
隆之は準備期間として会社の業務は休んでも良いと言ったが、由梨はどうしてもそれはしたくなかった。
もともと由梨はここで働き続けるために結婚を決意したのだ。
もちろん隆之に大きく惹かれているのも確かだが、だからといってそれだけに自分の全てを傾けるなど とてもじゃないけれど怖くてできない。
それに無責任なことは嫌だった。
そして加賀家のしきたりなど何も分からない中で秋元に教わりながら準備を進めた。
今日はとにかく失敗しないようにと朝から気を張っていて、そのことばかりに気にしていた。
今夜が初夜だということはなんとなく頭の中で後回しだった。
いや、もしかしたら無意識にでも後回しにしたかったのかもしれない。
隆之のプロポーズに頷いたあの夜から今日までキスを交わしたのは夢だったのかもしれないと思うくらいに隆之とは接触がなかった。
今となっては、あのキスはいつまでもぐずぐずと答えを出さない由梨に焦れた隆之の結論を出させるための催促だったのでは、とさえ思う。
そんな相手と夫婦としての触れ合いをどのようにしてゆけばよいのか、由梨には皆目見当もつかない。
もっともあの夜のキスがファーストキスだった由梨にとっては誰が相手だろうと同じようにわからなかったであろうが。
今ここにきてようやく初夜だということを実感し、これからどうすれば良いのだろうと由梨は急に不安になった。
もちろん年相応の知識はあるけれど逆に言えば本当にそれだけだ。
短大の頃の友人たちも由梨と同じようにどちらかと言えば大人しい子ばかりだったから、そういう話は想像の中のことだけで実体験を伴うものはなかったように思う。
(しゃ、社長は大人の男性なんだから、もちろん経験はあるわよね。私で相手が務まるかしら。…どうしよう…。)
仕事ではわからないことはわからないままにせず、その場で聞けとおしえられた。 知ったかぶりをするな、ど。
けれどさすがにこのことについては聞くわけにいかず由梨は途方にくれる思いで指の隙間から隆之を見る。
気がつくと隆之は再び歩き出していた。
ゆらゆらと身体に伝わる振動は心地よい。
由梨は再び目を閉じた。
そしてその瞬間、これまでの疲れが一気に解けてついに由梨は夢の世界へいってしまった。