政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
今井コンツェルン北部支社の社長今井博史は、由梨の父である。
今井コンツェルンは国内最大の財閥で戦前に財を成した今井家が率いている。
国内各所に配置されている支社の社長は今井家の血筋の者が就任する決まりがあり、由梨の父博史もそれに習い五年前に北部支社の社長に就任した。
そしてその時に由梨も父と共にこの地へ来た。
一人で東京へ残るのはとても耐えられそうになかったからだ。
由梨の父博史は由梨が知る限りずっと今井家のはみ出し者だった。
博史は今井家で絶大な権利をもつ祖父の唯一の庶子だ。
それ故に親類縁者からはいつも軽んじられていると彼は言っていた。
北部支社への出向もただの厄介払いだと。
実際、生まれ育った東京の今井家の屋敷は由梨にとってもけして居心地の良い場所ではなかった。
都内の一等地にある広大な敷地に祖父が住む大きい屋敷があり、周りを叔父たちの屋敷が取り囲む。
博史は自分の屋敷を持っていなかったから、由梨と二人、祖父のいる本邸に住んでいた。
そこでの何不自由ない生活に、暖かさは皆無だった。
たくさんいる従姉妹達と同じように名門の学校へ通い、良い教育を受けたけれど、折に触れて"妾の子の子は雑草"などと言われて悔しい思いをした。
母は由梨が小さい頃に亡くなり、父はそのような雑音から由梨を守ってくれるほどの気概はなかった。
あの屋敷から抜け出せるのであればと、由梨は藁にもすがる思いでここへ来たのだ。
短大を出たばかりで何の経験もない由梨が秘書室に配属されたのは今井家からの一応の配慮だとは思ったが、由梨にしてみれば余計なお世話だと言わざるを得なかった。
社長である父の姿を毎日見続けなくてはならなかったからだ。
来てみて初めて知ったことだけれど、実はこの北部支社は実質的には地元の名家加賀家が采配する会社だった。
財閥今井家とは言っても万能ではない。
特にこの街のように豪雪地帯にあり、郷土愛が深く根付いた土地では、地元のしきたりに精通していなくては通らない話ばかりだ。
そのことがわからない今井家ではない。
そこで今井家と加賀家は古くから密約を結び、社長を今井家の者が、副社長を加賀家の者が務めることとした。
つまり今井家の社長はお飾りだ。
博史が厄介払いだと嘆いていたわけが由梨にも分かった。
博史はこの街に来てから、東京にいた頃にも増してやる気をなくしていった。
地元の名士で人望も厚い加賀を疎ましがり、何日かに一度義務的に出社するだけの父を秘書室で見るのは辛かった。
けれどそれでも由梨にとっては東京よりはよっぽどマシなのだった。
二言目にはこんな寒い街は嫌だ、東京へ帰りたいとこぼす父を由梨は励まし続けたが、彼の気力はついに戻ることはなく昨年末、当たり前の風邪を引いたと思ったら呆気なく亡くなった。
葬式は東京でそれなりに立派に行われたけれど、彼の為に涙を流した人が果たしてどれくらいいただろうか。
由梨に残されたのは、ぽかりと開いた空虚な気持ち。
それと現実的な問題だった。
由梨は名目上は北部支社の社員だが、実質は父についてこの地にいるだけの今井家の人間だ。
住んでいる場所も今井家が北部支社社長の為に所有する屋敷である。
博史がいない今、由梨がこの街にいる意味はない。
けれど由梨は東京へは帰りたくなかった。
北部支社での仕事は楽しい。
仕事を通じてたくさんの人と関わる生活は由梨を魅了してやまない。
再びあの息が詰まるような東京の屋敷に戻るなど耐えられそうになかった。
由梨が住む屋敷は新しくくるであろう社長家族に明け渡さなくてはならないにしても、できれば近くにアパートを借りてこのまま支社にいたいと願っていた。
けれどそれも現実問題として難しい。
今井家に生まれたならば、男は今井コンツェルンの為に全てを捧げ、女は今井コンツェルンの為に嫁げ、と言われて育った。
今年二十五歳になる由梨が縁談もなくのんびりとしてられたのは、一族のはみ出し者の博史のお守りとして存在していたからだろう。
博史亡き今、いつ東京へ戻り結婚しろと言われてもおかしくはない立場だった。
一方で会社の方は、社長である博史が亡くなっても加賀副社長のもと悲しいくらいにびくともしない。
だからこそ、いくら年度末でグループ全体が忙しい時期とはいえ社長不在という異常事態を二ヶ月も続けられているのだ。
けれどそれももう終わる。
本社から呼び出されて東京へ行った加賀には、新しい社長の名前と、由梨の処遇が伝えられたに違いない。
今井コンツェルンは国内最大の財閥で戦前に財を成した今井家が率いている。
国内各所に配置されている支社の社長は今井家の血筋の者が就任する決まりがあり、由梨の父博史もそれに習い五年前に北部支社の社長に就任した。
そしてその時に由梨も父と共にこの地へ来た。
一人で東京へ残るのはとても耐えられそうになかったからだ。
由梨の父博史は由梨が知る限りずっと今井家のはみ出し者だった。
博史は今井家で絶大な権利をもつ祖父の唯一の庶子だ。
それ故に親類縁者からはいつも軽んじられていると彼は言っていた。
北部支社への出向もただの厄介払いだと。
実際、生まれ育った東京の今井家の屋敷は由梨にとってもけして居心地の良い場所ではなかった。
都内の一等地にある広大な敷地に祖父が住む大きい屋敷があり、周りを叔父たちの屋敷が取り囲む。
博史は自分の屋敷を持っていなかったから、由梨と二人、祖父のいる本邸に住んでいた。
そこでの何不自由ない生活に、暖かさは皆無だった。
たくさんいる従姉妹達と同じように名門の学校へ通い、良い教育を受けたけれど、折に触れて"妾の子の子は雑草"などと言われて悔しい思いをした。
母は由梨が小さい頃に亡くなり、父はそのような雑音から由梨を守ってくれるほどの気概はなかった。
あの屋敷から抜け出せるのであればと、由梨は藁にもすがる思いでここへ来たのだ。
短大を出たばかりで何の経験もない由梨が秘書室に配属されたのは今井家からの一応の配慮だとは思ったが、由梨にしてみれば余計なお世話だと言わざるを得なかった。
社長である父の姿を毎日見続けなくてはならなかったからだ。
来てみて初めて知ったことだけれど、実はこの北部支社は実質的には地元の名家加賀家が采配する会社だった。
財閥今井家とは言っても万能ではない。
特にこの街のように豪雪地帯にあり、郷土愛が深く根付いた土地では、地元のしきたりに精通していなくては通らない話ばかりだ。
そのことがわからない今井家ではない。
そこで今井家と加賀家は古くから密約を結び、社長を今井家の者が、副社長を加賀家の者が務めることとした。
つまり今井家の社長はお飾りだ。
博史が厄介払いだと嘆いていたわけが由梨にも分かった。
博史はこの街に来てから、東京にいた頃にも増してやる気をなくしていった。
地元の名士で人望も厚い加賀を疎ましがり、何日かに一度義務的に出社するだけの父を秘書室で見るのは辛かった。
けれどそれでも由梨にとっては東京よりはよっぽどマシなのだった。
二言目にはこんな寒い街は嫌だ、東京へ帰りたいとこぼす父を由梨は励まし続けたが、彼の気力はついに戻ることはなく昨年末、当たり前の風邪を引いたと思ったら呆気なく亡くなった。
葬式は東京でそれなりに立派に行われたけれど、彼の為に涙を流した人が果たしてどれくらいいただろうか。
由梨に残されたのは、ぽかりと開いた空虚な気持ち。
それと現実的な問題だった。
由梨は名目上は北部支社の社員だが、実質は父についてこの地にいるだけの今井家の人間だ。
住んでいる場所も今井家が北部支社社長の為に所有する屋敷である。
博史がいない今、由梨がこの街にいる意味はない。
けれど由梨は東京へは帰りたくなかった。
北部支社での仕事は楽しい。
仕事を通じてたくさんの人と関わる生活は由梨を魅了してやまない。
再びあの息が詰まるような東京の屋敷に戻るなど耐えられそうになかった。
由梨が住む屋敷は新しくくるであろう社長家族に明け渡さなくてはならないにしても、できれば近くにアパートを借りてこのまま支社にいたいと願っていた。
けれどそれも現実問題として難しい。
今井家に生まれたならば、男は今井コンツェルンの為に全てを捧げ、女は今井コンツェルンの為に嫁げ、と言われて育った。
今年二十五歳になる由梨が縁談もなくのんびりとしてられたのは、一族のはみ出し者の博史のお守りとして存在していたからだろう。
博史亡き今、いつ東京へ戻り結婚しろと言われてもおかしくはない立場だった。
一方で会社の方は、社長である博史が亡くなっても加賀副社長のもと悲しいくらいにびくともしない。
だからこそ、いくら年度末でグループ全体が忙しい時期とはいえ社長不在という異常事態を二ヶ月も続けられているのだ。
けれどそれももう終わる。
本社から呼び出されて東京へ行った加賀には、新しい社長の名前と、由梨の処遇が伝えられたに違いない。