政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
「それにしても…。ふふ。お姫様の前では狼もチワワになってしまうってわけね。ちょっといいきみだわ。」

「え…?」

 長坂の口から出た"狼"という言葉に由梨の胸がどきりと鳴った。

「狼って、社長のことですか?」

 奈々が不思議そうに尋ねる。

「そうよ。学生時代そう呼ばれてたの。狼くんって。…今は整髪料で押さえいるけど当時はくせ毛がぴんぴんするのをそのままにしてたからシルエットが狼みたいだってね。それに仕事中は意識して柔和に見せてるんだろうけど本当は目つきも鋭いし…。」

 由梨の脳裏に"俺の妻になれ"と言った時の隆之の強い視線が浮かぶ。

「殿って多くを欲しがるわけじゃないんだけど、一度欲しいと思ったらそれは絶対に手に入れるのよ。…そういうところがちょっとカリスマ性を感じるよね。自然と人が集まるっていうか。…まるで…狼の…。」

「「アルファー。」」

 由梨は思わず呟いた。
 長坂がそんな由梨をみてニヤリと笑う。

「普段は本性を隠しているけどね。」

 欲しいと思ったものは必ず手に入れる、それが加賀隆之という男。
 由梨は"今井コンツェルンの社長"という獲物を手に入れるための踏み台とされたのだろう。 
 けれどもそれを卑怯だとは思えない自分は、やはり彼の中のカリスマに囚われているのだ。

「まぁ、とにかく。殿が待つって言ってるんだからさ。どーん!と構えて待たせてやればいいのよ!あいつもちょっとくらい焦らされる辛さを知らないとね。ほーんとに昔の女遊びは、酷かったんだから!私なんて秘書になってから、どこぞの社長令嬢やら女社長に仮想敵国のように扱われてうんざりしたわ。当の本人は涼しい顔でさ。本当に、誰でもいいからさっさと結婚しろって思っていたのよ。」

「本当、私もこれで安心です。無駄にモテる社長なんて社内的には害にしかなりません!考えてみればこれは今まで妬まれて苦労した我々の鬱憤を晴らすチャンスかもしれません!!由梨先輩ここは一つ…。」

「ふうん。そうか。」

 会話を遮る声が聞こえて三人は一斉に振り返った。
 半個室の居酒屋のパーテーションに肘をついて憮然とした隆之が立っていた。
 奈々がぎゃっと言って両手で口を塞いだ。
 由梨も驚いて危うくお茶の湯飲みを倒しそうになる。
 長坂だけが舌打ちをした。

「盗み聞きなんて悪趣味ですよ、社長。」

 何しに来たんだと言わんばかりに睨みつける。
 口では社長と言いながら完全に業務時間外の態度である。

「ちょうど近くで会合が終わったから、寄ってみたんだ。由梨がタクシーを呼ぶ手間が省けるかと思ってね。…そしたら俺を褒める言葉が聞こえてきたから出るに出られなくなったんだよ。」

「妻が羽を伸ばしているところを監視しにくるなんて本当にステキな旦那さまですこと!はははは!」

 隆之は愉快そうに笑う長坂を胡散臭そうに睨んでから由梨を見た。

「まだ終わってないなら俺は先に帰るよ。…ただし、帰りはタクシーを拾うんだぞ。」

 由梨はキョトンとして聞き返す。

「え、でもまだ電車ありますよ。」

 居酒屋から駅までは人通りが多いし、加賀家は最寄駅から比較的近い。
 由梨は季節もいいし歩いて帰ろうと思っていた。
 春の暖かい風はちょうど良い酔い覚ましになる。
 けれど隆之は難しい顔でそれを否定した。

「ダメだ、夜は必ずタクシーを使え。…それを夕方に言うのを忘れたと思って寄ったんだ。…一応メールにも入れたんだが。」

「え?…あ、本当だ。」

 由梨は慌てて自分の携帯を確認して呟く。
 今井家ではSNSなども禁止されていたため由梨はあまり携帯を見る習慣がない。
 そのことは結婚式の準備などで連絡を取り合っているうちに早々に隆之にバレてしまった。
 隆之はそれを咎めたりはしないが、直さなくてはと思っていたのに。 

「すみません…。」

 由梨はしょんぼりと呟く。

「いや、いいよ。」

 隆之は笑って首を振った。
 
「どうせそんなことだろうと思って迎えにきたんだから。」

 奈々がひゅーと言って二人から目を逸らし、長坂はやれやれと口の中で呟いた。
 二人がいる前で平然として夫婦の会話をする隆之に由梨は恥ずかしくなり頬を染める。

「あ、ありがとうございます。一緒に帰ります…。」

 二人の視線が痛い。
 隆之との話を聞いてもらった後の今は尚更。

「由梨先輩お疲れ様でーす!また飲みましょうねー!」

「社長ー!!過保護も程々にしないと可愛い奥さんに嫌がられるわよー!あ、ご馳走さまでーす!」

「西野さんお疲れ様、また月曜に。…長坂、お前飲み過ぎるなよ。」

 二人の声を背に伝票を掴んでさっさとレジへゆく隆之を追って由梨も席を立つ。
 ニコニコと手を振る二人に胸が暖かくなった。
 話を聞いてもらってずいぶんと胸が軽くなった。
 隆之とのことはどうなるか分からないけれど、この二人と一緒に働き続けることを選んだのは正解だった。
 心からそう思う夜だった。
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