政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
今井和也
隆之は一週間の休みをくれたけれど実際のところ由梨には東京にいてもすることはない。
告別式の夜遅くすべての日程を終えた由梨は、部屋で荷造りをしていた。
隆之が待つ加賀家が自分の帰るところだ。
早く帰りたかった。
新幹線のチケットは押さえた、幸仁伯父の許可も得た。
芳子などは、今すぐにでも出て行けといわんばかりの表情だったが。
隆之に明日帰ることを報告するメールを入れたとき、コンコンとドアをノックする音が聞こえて由梨は顔をあげた。
こんな夜遅くに誰だろうと首を傾げる。
叔母たちならこちらの返事を待たずにドアを開けるだろうし、伯父たちはそもそもそもわざわざ由梨を訪ねるほどの用はないはずだ。
「…はい?」
訝しみながらドアを開けると、立っていたのは従兄弟の今井和也だった。
「由梨!!」
和也は驚く由梨の肩を両手でがしりと掴んだ。
抱きつかんばかりの様子に由梨は面食らって思わず後ずさりをする。
そのまま和也を部屋に招き入れる形になってしまった。
和也が後ろ手にドアを閉めるのをみて由梨は一瞬複雑な気持ちになる。
けれどよく考えれば部屋の前で立ち話であっても芳子に見られればただではすまないと、無理矢理自分を納得させた。
「和也兄さん。…戻ってこられたの?」
本社で専務をしている和也は今井コンツェルンの正式な跡取りだが、欧州への長期出張中であるため葬儀にはでられないと聞いていた。
「じいさんに最後のお別れくらい言いたいじゃないか。…式には間に合わなかったけれどね。…それに由梨が心配だったんだ。またみんなにいじめられているんじゃないかって。」
「ありがとう兄さん。私は大丈夫よ。」
由梨は微笑んだ。
たとえ表立っては庇ってくれなくても和也はいつも由梨に親切にしてくれた。
「…それよりも、由梨。結婚のこと…すまなかった。」
和也が暗い目で由梨を見た。
由梨はえと呟いて和也を見上げる。
隆之ほどではないけれど和也も背が高い。
けれど何故かいつも自信がなさそうに背筋を丸めているのであまり目立たないのだ。
「僕が欧州に行っている間に、計られた。あんな男と無理矢理結婚させられて…!ごめん!由梨。」
由梨は突然の和也の謝罪にわけがわからずに戸惑いながらも首を振った。
「兄さん…そんな…。無理矢理ではなかったわ。それに…。」
「由梨!!…あの男はお前を利用したんだ。北部支社の社長になるために!」
わかっていたことでも誰かにハッキリと口に出されると少し辛い。
けれど、由梨はなんでもないことのように首を振った。
「兄さんそのことはもういいの。わかっていたことだから。隆之さんは良くしてくれているし…。」
「良くない!!!」
和也は声を荒げた。
そして真っ赤な顔で由梨を見た。
その気迫に由梨はたじろぐ。
こんなに取り乱す和也は初めて見た。
「僕が!!僕が由梨と結婚したかったんだ!ずっとずっと前からそう言っていたのに、父さんも母さんもダメだの一点張りだった。由梨が邪魔だったんだよ!父さんは!だからあいつが、加賀隆之が北部の社長になりたがった時に由梨との結婚を条件につけたんだ!由梨と結婚して僕から遠ざけるなら、社長にしてもいいって。そうに違いないよ!!…くそっ!!僕が欧州に行っている間に…。」
由梨は目を見張る。
由梨が結婚を承諾したあと、隆之が結婚式を急いだわけがわかった。
すべてを和也がいない間に済ませなければならなかったからだ。
いやもしかしたら、由梨が返事をするより早く式の準備は進んでいたのかもしれない。
由梨は、心の中心から冷たいものが広がってゆくような奇妙な感覚を味わいながら、瞳だけで和也を見る。
「それを知ったとき、僕がどんな気持ちだったかわかるかい?僕は、僕はずっと由梨を愛しているのに!!」
心の叫びを吐くような和也の愛の告白を、由梨は冷えた心のまま聞いた。
そうだ、彼はいつも由梨には親切にしてくれた。
その瞳の中に特別な感情を見たこともある。
けれど、由梨の心は動かなかった。
彼は一度として表立って由梨を庇ってはくれなかったから。
この冷えた屋敷でわずかでも温もりを分けてくれることはなかったから。
結婚の話を由梨の気持ちも確かめずに両親にしてしまうところも彼らしいと思う。
由梨が拒否するとは微塵も思わないのだろう。
…それとも由梨にはそんな権利はないということか。
由梨は和也の視線から逃げるように瞳を閉じた。
(…隆之さんは選ばせてくれた。)
社長になるためだったかもしれない。
それでも隆之は由梨に誠実に接してくれてた。
結婚するかどうかは由梨が決めていいと言ってくれた。
自分に必要だと思うことは自分で決めてよいと言ってくれた。
初めての飲み会の夜、夜道を心配して迎えに来てくれた。
予定より早くここまで駆けつけてくれた。
魂をとろかせるような熱いキス。
拗ねた瞳。
癖のある髪。
それから今、由梨の手の中にある暖かさ。
いろいろなことが頭の中をぐるぐると回りだす。
冷えた心がまた動き出した。
「…和也兄さん、私、兄さんがそんなふうに思ってくれているなんて知らなかった…気がつかなくてごめんなさい。」
そう言って由梨は二の腕をがっしりと掴む和也の手をさりげなく解く。
そしてそこを自分の両手で抱いた。
「本当にごめんなさい。」
「いいんだ、由梨。由梨は悪くない。全部あいつと親父が仕組んだことなんだ。…すぐに助けてやる。こんな結婚は白紙にしてやるからな!奴がどんな汚い手で社長になったかを、どうやって由梨が犠牲になったかを世間に晒してやろう。そしたら奴はおしまいだ。」
由梨はゆっくりと首を振った。
「兄さん、私この結婚に満足してるのよ。そんなことしないで。」
和也は信じられないというように眉を寄せた。
「本当よ、どんなきっかけだってもう夫婦になったんだもの。私、幸せになれるように精一杯努力する。…兄さんはいつも私の心配をしてくれてありがたいとは思うけれど…ごめんなさい、結婚とかそんなふうには思えない。」
由梨は一言一言に力を込めた。
右手を握りしめると、じんわりと暖かさを感じた。
和也が顔を歪めた。
なぜだろう、彼は容姿は父親である幸仁に似ているのに、こういう表情をするときは芳子そっくりだ。
「だめだ、由梨。…君は騙されている。君は…君は真っ白だから、あの男に染められてしまっているんだ。」
和也の言うことはあながち間違いではない。
北部支社へ行く前は、いつも何をしていても目的がわからずどこに進んで良いかわからない日々だった。
北部支社で隆之や秘書室のメンバーと一緒に働くうちに少しずつ少しずつ生きる意味や充実感を得られるようになってきたのだ。
男性として意識したのは最近かも知れない、けれどそれ以前からもずっと隆之に見守られ成長してきた。
そんな錯覚さえしてしまう。
もはやだれにも由梨から隆之を取り去ることはできない。
なぜなら隆之は由梨の心の隅々にまで染み渡って住み着いてしまっているから。
「和也兄さん、私、隆之さんが好きなの愛しているの。…ごめんなさい。」
「由梨、あの男は悪魔のような奴だ。東京にいたときの女遊びは尋常じゃなかった。あぁ、君が北部に行くと言い出したときに心配したことが現実になってしまった…。あんな奴のところへ行ったら由梨はすぐに餌食になってしまうと、僕はわかっていたのに…!」
由梨は首を振って和也から視線をはずした。
取り乱す和也を見るのが辛かった。
幼い頃は優しい彼を兄と慕った。
叔母からは庇ってはくれない弱いところはあったが、こっそりと遊んでくれたことは数えきれない。
由梨の中で優しい兄のままで留まってほしいと願うのは酷だろうか。
告別式の夜遅くすべての日程を終えた由梨は、部屋で荷造りをしていた。
隆之が待つ加賀家が自分の帰るところだ。
早く帰りたかった。
新幹線のチケットは押さえた、幸仁伯父の許可も得た。
芳子などは、今すぐにでも出て行けといわんばかりの表情だったが。
隆之に明日帰ることを報告するメールを入れたとき、コンコンとドアをノックする音が聞こえて由梨は顔をあげた。
こんな夜遅くに誰だろうと首を傾げる。
叔母たちならこちらの返事を待たずにドアを開けるだろうし、伯父たちはそもそもそもわざわざ由梨を訪ねるほどの用はないはずだ。
「…はい?」
訝しみながらドアを開けると、立っていたのは従兄弟の今井和也だった。
「由梨!!」
和也は驚く由梨の肩を両手でがしりと掴んだ。
抱きつかんばかりの様子に由梨は面食らって思わず後ずさりをする。
そのまま和也を部屋に招き入れる形になってしまった。
和也が後ろ手にドアを閉めるのをみて由梨は一瞬複雑な気持ちになる。
けれどよく考えれば部屋の前で立ち話であっても芳子に見られればただではすまないと、無理矢理自分を納得させた。
「和也兄さん。…戻ってこられたの?」
本社で専務をしている和也は今井コンツェルンの正式な跡取りだが、欧州への長期出張中であるため葬儀にはでられないと聞いていた。
「じいさんに最後のお別れくらい言いたいじゃないか。…式には間に合わなかったけれどね。…それに由梨が心配だったんだ。またみんなにいじめられているんじゃないかって。」
「ありがとう兄さん。私は大丈夫よ。」
由梨は微笑んだ。
たとえ表立っては庇ってくれなくても和也はいつも由梨に親切にしてくれた。
「…それよりも、由梨。結婚のこと…すまなかった。」
和也が暗い目で由梨を見た。
由梨はえと呟いて和也を見上げる。
隆之ほどではないけれど和也も背が高い。
けれど何故かいつも自信がなさそうに背筋を丸めているのであまり目立たないのだ。
「僕が欧州に行っている間に、計られた。あんな男と無理矢理結婚させられて…!ごめん!由梨。」
由梨は突然の和也の謝罪にわけがわからずに戸惑いながらも首を振った。
「兄さん…そんな…。無理矢理ではなかったわ。それに…。」
「由梨!!…あの男はお前を利用したんだ。北部支社の社長になるために!」
わかっていたことでも誰かにハッキリと口に出されると少し辛い。
けれど、由梨はなんでもないことのように首を振った。
「兄さんそのことはもういいの。わかっていたことだから。隆之さんは良くしてくれているし…。」
「良くない!!!」
和也は声を荒げた。
そして真っ赤な顔で由梨を見た。
その気迫に由梨はたじろぐ。
こんなに取り乱す和也は初めて見た。
「僕が!!僕が由梨と結婚したかったんだ!ずっとずっと前からそう言っていたのに、父さんも母さんもダメだの一点張りだった。由梨が邪魔だったんだよ!父さんは!だからあいつが、加賀隆之が北部の社長になりたがった時に由梨との結婚を条件につけたんだ!由梨と結婚して僕から遠ざけるなら、社長にしてもいいって。そうに違いないよ!!…くそっ!!僕が欧州に行っている間に…。」
由梨は目を見張る。
由梨が結婚を承諾したあと、隆之が結婚式を急いだわけがわかった。
すべてを和也がいない間に済ませなければならなかったからだ。
いやもしかしたら、由梨が返事をするより早く式の準備は進んでいたのかもしれない。
由梨は、心の中心から冷たいものが広がってゆくような奇妙な感覚を味わいながら、瞳だけで和也を見る。
「それを知ったとき、僕がどんな気持ちだったかわかるかい?僕は、僕はずっと由梨を愛しているのに!!」
心の叫びを吐くような和也の愛の告白を、由梨は冷えた心のまま聞いた。
そうだ、彼はいつも由梨には親切にしてくれた。
その瞳の中に特別な感情を見たこともある。
けれど、由梨の心は動かなかった。
彼は一度として表立って由梨を庇ってはくれなかったから。
この冷えた屋敷でわずかでも温もりを分けてくれることはなかったから。
結婚の話を由梨の気持ちも確かめずに両親にしてしまうところも彼らしいと思う。
由梨が拒否するとは微塵も思わないのだろう。
…それとも由梨にはそんな権利はないということか。
由梨は和也の視線から逃げるように瞳を閉じた。
(…隆之さんは選ばせてくれた。)
社長になるためだったかもしれない。
それでも隆之は由梨に誠実に接してくれてた。
結婚するかどうかは由梨が決めていいと言ってくれた。
自分に必要だと思うことは自分で決めてよいと言ってくれた。
初めての飲み会の夜、夜道を心配して迎えに来てくれた。
予定より早くここまで駆けつけてくれた。
魂をとろかせるような熱いキス。
拗ねた瞳。
癖のある髪。
それから今、由梨の手の中にある暖かさ。
いろいろなことが頭の中をぐるぐると回りだす。
冷えた心がまた動き出した。
「…和也兄さん、私、兄さんがそんなふうに思ってくれているなんて知らなかった…気がつかなくてごめんなさい。」
そう言って由梨は二の腕をがっしりと掴む和也の手をさりげなく解く。
そしてそこを自分の両手で抱いた。
「本当にごめんなさい。」
「いいんだ、由梨。由梨は悪くない。全部あいつと親父が仕組んだことなんだ。…すぐに助けてやる。こんな結婚は白紙にしてやるからな!奴がどんな汚い手で社長になったかを、どうやって由梨が犠牲になったかを世間に晒してやろう。そしたら奴はおしまいだ。」
由梨はゆっくりと首を振った。
「兄さん、私この結婚に満足してるのよ。そんなことしないで。」
和也は信じられないというように眉を寄せた。
「本当よ、どんなきっかけだってもう夫婦になったんだもの。私、幸せになれるように精一杯努力する。…兄さんはいつも私の心配をしてくれてありがたいとは思うけれど…ごめんなさい、結婚とかそんなふうには思えない。」
由梨は一言一言に力を込めた。
右手を握りしめると、じんわりと暖かさを感じた。
和也が顔を歪めた。
なぜだろう、彼は容姿は父親である幸仁に似ているのに、こういう表情をするときは芳子そっくりだ。
「だめだ、由梨。…君は騙されている。君は…君は真っ白だから、あの男に染められてしまっているんだ。」
和也の言うことはあながち間違いではない。
北部支社へ行く前は、いつも何をしていても目的がわからずどこに進んで良いかわからない日々だった。
北部支社で隆之や秘書室のメンバーと一緒に働くうちに少しずつ少しずつ生きる意味や充実感を得られるようになってきたのだ。
男性として意識したのは最近かも知れない、けれどそれ以前からもずっと隆之に見守られ成長してきた。
そんな錯覚さえしてしまう。
もはやだれにも由梨から隆之を取り去ることはできない。
なぜなら隆之は由梨の心の隅々にまで染み渡って住み着いてしまっているから。
「和也兄さん、私、隆之さんが好きなの愛しているの。…ごめんなさい。」
「由梨、あの男は悪魔のような奴だ。東京にいたときの女遊びは尋常じゃなかった。あぁ、君が北部に行くと言い出したときに心配したことが現実になってしまった…。あんな奴のところへ行ったら由梨はすぐに餌食になってしまうと、僕はわかっていたのに…!」
由梨は首を振って和也から視線をはずした。
取り乱す和也を見るのが辛かった。
幼い頃は優しい彼を兄と慕った。
叔母からは庇ってはくれない弱いところはあったが、こっそりと遊んでくれたことは数えきれない。
由梨の中で優しい兄のままで留まってほしいと願うのは酷だろうか。