政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
消えた由梨
"叔父の許可がおりましたので明日帰ります"
今井コンツェルン北部支社の社長室で、隆之は携帯の画面を見つめて眉を寄せていた。
昨夜由梨からメールが入ったあとすぐに隆之は折り返し電話を入れた。
電車の時間がわかれば駅まで迎えに行こうかと思ったのである。
今日は午前中はスケジュールが埋まっていたが、夕方であれば少しくらいなら時間は取れる。
またすぐに仕事へ向かうことにはなるがひと目だけでも会いたい。
今までの自分なら有り得ないことだが、そうせずにはいられなかったのだ。
別れたのは昨日の昼間だというのにもう恋しいなんてどうかしていると自分でも思う。
けれど、由梨は電話に出なかった。
こちらからのメッセージにも既読がつかない。
夜遅くだったから眠ってしまったのだろうと思いながらも隆之はなぜか気持ちの悪い胸騒ぎを覚えた。
隆之にはこういうことが時々ある。
本能的に良くないことを嗅ぎ分ける力だ。
順調に進んでいるように思える取引でもこの胸騒ぎが出ると必ずトラブルに見舞われた。
父親は、お前は獣かなにかかと笑うが、理屈ではないのだから仕方がない。
はたして、朝になっても由梨は電話に出なかった。
隆之から送ったメールはまだ既読にならない。
成人した大人の女性と半日連絡がつかないからといってそれがなんだ。
心配のしすぎだ。
そう無理矢理自分を納得させようとしても、うまくいかなかった。
イライラと机を人差し指で叩いていると社長室のドアがノックされた。
「社長、よろしいですか。」
ドアの向こうで声が聞こえた。
「ああ、どうぞ。」
隆之が答えると長坂が入ってきた。
「社長、二点確認がございます。」
隆之は人差し指で机を叩くのをやめて長坂を見た。
「来週の本社での定例会議ですが、出席でよろしいですか。」
三カ月に一度の割合で東京本社で行われる今井コンツェルンの本社の取締役、支社の代表取締役が一堂に介する会議である。
今まで何回かは社長代理として出席したことがあるが、社長となってからは初めての会だ。
東京まで行くのは正直言って面倒だがでないわけにはいかない。
「あぁ、出席で。」
「ではいつもどおり、ホテルの手配を?」
飛行機を使えば日帰りできなくもないが会議のあと食事に誘われることもあるので、大抵は泊まりだ。
隆之は、それでいいと言いかけてはふと口をつぐんだ。
由梨の顔が浮かんだ。
「…いや、今回は日帰りにする。飛行機のチケットを頼む。」
長坂が口元だけで笑う。
頭の中を読まれたような気がして隆之は憮然として彼女から視線を逸らした。
「…了解しました。社長、その由梨さんのことですが。」
何が"その"だ、俺は何も言ってないぞ、と心の中で隆之は悪態をついて長坂を睨むが、次に長坂が発した言葉に息を飲む。
「…今朝から連絡が取れないのですが、社長の方には?」
「いや、…どうかしたのか?」
まずは忌引き中の彼女に会社から連絡した理由を聞く。
「昨日由梨さんからメールで休暇を縮めて明日から出社したいと連絡があったのです。そのことで蜂須賀室長が社用の携帯に連絡を入れているのですがお出になりません。プライベートの携帯の方にもかけてみましたが、こちらも出られないので…。社長の方には?」
「いや、特に連絡はない。」
答えながら隆之の背中を冷たいものが伝い落ちる。
胸騒ぎがいっそうひどくなった。
由梨はあまり携帯をマメにチェックする方ではない。
それはわかっているが、誰からの連絡にも折り返さないというのはおかしくはないか?
それに社用の携帯はプライベートよりも意識してチェックしている筈だ。
告別式では、プライベートの方は電源を切っていたのに社用はマナーモードにして持ち込んでいた。
「…今日、こちらへ帰ってくる予定だから電車の中にいて出られないのかもしれない。」
どこか上の空で隆之は長坂に言うが、彼女はそれで納得したようだ。
「そうですか。ではご自宅に戻られたら、こちらは特に急ぎの案件もありませんので予定通り今週いっぱいは休んで下さいとお伝え下さい。…入社以来ろくに有休も取られてないですから。…もしよろしければ、社長もどうぞ。」
長坂のからかいにも耳をかさず隆之は一応は頷いた。
頭の中は嫌な想像でいっぱいだ。
どこかで事故にでも巻き込まれているのだろうか…いや、とくにそういったニュースはないはずだ。
「…社長?」
長坂が不思議そうに首を傾げながら、ふと思い出したように言った。
「あ、言い忘れていました。さっきの定例会議ですが、おそらく本社の和也専務もご出席されますのでお気をつけて。」
今井コンツェルンには当たり前だが今井姓の役員が多い。
そのため、会長以外は下の名前に役職で呼ぶのが一般的だ。
本社専務の今井和也はここ数年、隆之へのあたりが強いので知られていた。
ろくに意見など交わさない形だけの定例会義で北部支社はやたらと和也の標的なっていた。
和也はイレギュラーな意見を言っては、隆之を煩わせるのだ。
原因は由梨だとわかったのは数ヶ月前、由梨の近くにいる隆之が気に入らなかったと言うことか。
それにしては由梨本人にも自分の気持ちを言えていないようだったが。
長坂は原因はわからないにせよ、そのような和也と隆之のいきさつを知って忠告しているのだ。
けれど鬱陶しいとは思っても聞かれて困ることなどない。
それによって会議が長引くのは不本意だがと、言いかけて隆之はハッと目を見張る。
「和也専務が?欧州から戻られたのか?」
「はい、ネットワーク上ではそのようになっています。…今井前会長の葬儀のために帰国されたのでは?」
支社社長の秘書室は本社とネットワーク上で繋がっていて、全ての役員の大まかなスケジュールが見られる。
長坂はおそらくそれを見たのだ。
すぐに隆之も自身の目の前のパソコンでアクセスした。
確かに今井和也は日本にいる。
「…馬鹿な。葬儀には間に合わないから、帰国する予定ではなかった筈だ。」
隆之は立ち上がった。
突然顔色を変えた隆之を長坂は怪訝な表情で見る。
「…そうは言ってもおじいさまですし…。やっぱり、お焼香でもと思われたのではないですか?…社長?」
今井幸仁との打ち合わせどおり由梨との結婚は和也に気づかれないように慎重に準備を進めた。
その後、欧州にいる和也がこの結婚をどう思ったのか…もちろん面白くはないだろうが…隆之にそれを知る機会はなかった。
彼が一度も欧州から帰って来なかったからだ。
この度の前会長の死去で帰国するとなれば由梨と顔を合わせる可能性が高いと思い、隆之は予定を早めて東京へ行った。
彼がどのような行動に出ても対処できるように。
けれど隆之の心配は杞憂に終わり、和也は帰国しないという知らせがあった。
だからこそ由梨を一人で今井家に残してきたのに!
隆之は拳を作る。
嫌な予感がした。
急遽予定を変更して、しかもそれを伝えずに帰国した彼の意図はなんだ?
今井コンツェルン北部支社の社長室で、隆之は携帯の画面を見つめて眉を寄せていた。
昨夜由梨からメールが入ったあとすぐに隆之は折り返し電話を入れた。
電車の時間がわかれば駅まで迎えに行こうかと思ったのである。
今日は午前中はスケジュールが埋まっていたが、夕方であれば少しくらいなら時間は取れる。
またすぐに仕事へ向かうことにはなるがひと目だけでも会いたい。
今までの自分なら有り得ないことだが、そうせずにはいられなかったのだ。
別れたのは昨日の昼間だというのにもう恋しいなんてどうかしていると自分でも思う。
けれど、由梨は電話に出なかった。
こちらからのメッセージにも既読がつかない。
夜遅くだったから眠ってしまったのだろうと思いながらも隆之はなぜか気持ちの悪い胸騒ぎを覚えた。
隆之にはこういうことが時々ある。
本能的に良くないことを嗅ぎ分ける力だ。
順調に進んでいるように思える取引でもこの胸騒ぎが出ると必ずトラブルに見舞われた。
父親は、お前は獣かなにかかと笑うが、理屈ではないのだから仕方がない。
はたして、朝になっても由梨は電話に出なかった。
隆之から送ったメールはまだ既読にならない。
成人した大人の女性と半日連絡がつかないからといってそれがなんだ。
心配のしすぎだ。
そう無理矢理自分を納得させようとしても、うまくいかなかった。
イライラと机を人差し指で叩いていると社長室のドアがノックされた。
「社長、よろしいですか。」
ドアの向こうで声が聞こえた。
「ああ、どうぞ。」
隆之が答えると長坂が入ってきた。
「社長、二点確認がございます。」
隆之は人差し指で机を叩くのをやめて長坂を見た。
「来週の本社での定例会議ですが、出席でよろしいですか。」
三カ月に一度の割合で東京本社で行われる今井コンツェルンの本社の取締役、支社の代表取締役が一堂に介する会議である。
今まで何回かは社長代理として出席したことがあるが、社長となってからは初めての会だ。
東京まで行くのは正直言って面倒だがでないわけにはいかない。
「あぁ、出席で。」
「ではいつもどおり、ホテルの手配を?」
飛行機を使えば日帰りできなくもないが会議のあと食事に誘われることもあるので、大抵は泊まりだ。
隆之は、それでいいと言いかけてはふと口をつぐんだ。
由梨の顔が浮かんだ。
「…いや、今回は日帰りにする。飛行機のチケットを頼む。」
長坂が口元だけで笑う。
頭の中を読まれたような気がして隆之は憮然として彼女から視線を逸らした。
「…了解しました。社長、その由梨さんのことですが。」
何が"その"だ、俺は何も言ってないぞ、と心の中で隆之は悪態をついて長坂を睨むが、次に長坂が発した言葉に息を飲む。
「…今朝から連絡が取れないのですが、社長の方には?」
「いや、…どうかしたのか?」
まずは忌引き中の彼女に会社から連絡した理由を聞く。
「昨日由梨さんからメールで休暇を縮めて明日から出社したいと連絡があったのです。そのことで蜂須賀室長が社用の携帯に連絡を入れているのですがお出になりません。プライベートの携帯の方にもかけてみましたが、こちらも出られないので…。社長の方には?」
「いや、特に連絡はない。」
答えながら隆之の背中を冷たいものが伝い落ちる。
胸騒ぎがいっそうひどくなった。
由梨はあまり携帯をマメにチェックする方ではない。
それはわかっているが、誰からの連絡にも折り返さないというのはおかしくはないか?
それに社用の携帯はプライベートよりも意識してチェックしている筈だ。
告別式では、プライベートの方は電源を切っていたのに社用はマナーモードにして持ち込んでいた。
「…今日、こちらへ帰ってくる予定だから電車の中にいて出られないのかもしれない。」
どこか上の空で隆之は長坂に言うが、彼女はそれで納得したようだ。
「そうですか。ではご自宅に戻られたら、こちらは特に急ぎの案件もありませんので予定通り今週いっぱいは休んで下さいとお伝え下さい。…入社以来ろくに有休も取られてないですから。…もしよろしければ、社長もどうぞ。」
長坂のからかいにも耳をかさず隆之は一応は頷いた。
頭の中は嫌な想像でいっぱいだ。
どこかで事故にでも巻き込まれているのだろうか…いや、とくにそういったニュースはないはずだ。
「…社長?」
長坂が不思議そうに首を傾げながら、ふと思い出したように言った。
「あ、言い忘れていました。さっきの定例会議ですが、おそらく本社の和也専務もご出席されますのでお気をつけて。」
今井コンツェルンには当たり前だが今井姓の役員が多い。
そのため、会長以外は下の名前に役職で呼ぶのが一般的だ。
本社専務の今井和也はここ数年、隆之へのあたりが強いので知られていた。
ろくに意見など交わさない形だけの定例会義で北部支社はやたらと和也の標的なっていた。
和也はイレギュラーな意見を言っては、隆之を煩わせるのだ。
原因は由梨だとわかったのは数ヶ月前、由梨の近くにいる隆之が気に入らなかったと言うことか。
それにしては由梨本人にも自分の気持ちを言えていないようだったが。
長坂は原因はわからないにせよ、そのような和也と隆之のいきさつを知って忠告しているのだ。
けれど鬱陶しいとは思っても聞かれて困ることなどない。
それによって会議が長引くのは不本意だがと、言いかけて隆之はハッと目を見張る。
「和也専務が?欧州から戻られたのか?」
「はい、ネットワーク上ではそのようになっています。…今井前会長の葬儀のために帰国されたのでは?」
支社社長の秘書室は本社とネットワーク上で繋がっていて、全ての役員の大まかなスケジュールが見られる。
長坂はおそらくそれを見たのだ。
すぐに隆之も自身の目の前のパソコンでアクセスした。
確かに今井和也は日本にいる。
「…馬鹿な。葬儀には間に合わないから、帰国する予定ではなかった筈だ。」
隆之は立ち上がった。
突然顔色を変えた隆之を長坂は怪訝な表情で見る。
「…そうは言ってもおじいさまですし…。やっぱり、お焼香でもと思われたのではないですか?…社長?」
今井幸仁との打ち合わせどおり由梨との結婚は和也に気づかれないように慎重に準備を進めた。
その後、欧州にいる和也がこの結婚をどう思ったのか…もちろん面白くはないだろうが…隆之にそれを知る機会はなかった。
彼が一度も欧州から帰って来なかったからだ。
この度の前会長の死去で帰国するとなれば由梨と顔を合わせる可能性が高いと思い、隆之は予定を早めて東京へ行った。
彼がどのような行動に出ても対処できるように。
けれど隆之の心配は杞憂に終わり、和也は帰国しないという知らせがあった。
だからこそ由梨を一人で今井家に残してきたのに!
隆之は拳を作る。
嫌な予感がした。
急遽予定を変更して、しかもそれを伝えずに帰国した彼の意図はなんだ?