政略結婚は純愛のように~狼社長は新妻を一途に愛しすぎている~
加賀の言葉に由梨は耳を疑った。
え…と声を漏らしたまま、答えるどころか相槌すら打てないでいる。
けれど当の本人は涼しい顔で、もう一度繰り返した。
「私の妻になるというのはどうだ。君はここへいられるし、もちろん仕事も続けてもらって構わない。…妻が秘書というのはかえって好都合だ。」
まるでコピーをとっておいてくれとでも言うかのような気軽さで、とんでもないことを言う目の前の男を由梨は唖然として見つめる。
その表情からは、彼が何を考えてそのような提案をするのか、全く読み取ることはできない。
「私は…。」
それでも何か言わなければと、由梨は口を開く。
「ただこの街に残りたいというだけで…。」
由梨の希望はここで穏やかな生活を送ること、ただそれだけだ。
「…都合がいいとは思わないか。私の妻になればもう今井家から呼び戻されることはない。この街にいて仕事を続けられる。」
そうかもしれないし、そうじゃないような気もする。
由梨の頭の中で、色々な思いがぐるぐると浮かんでは消えた。
突然の加賀の提案に混乱してとてもじゃないけれど、良いも悪いも判断がつかない。
なにしろ彼の提案は、今まで由梨が想定していた、どのパターンからも大きく外れているのだから。
「あのっ。」
ふと思いついて由梨は加賀に問いかけた。
「…副社長は、それでよろしいのですか。」
由梨は加賀のプライベートについて独身だということ以外、何も知らない。
恋人はいないのだろうか。
普通に考えてこれだけの男ぶりで社会的地位のある男性であればすでに妻帯していてもおかしくはない。
ましてや加賀は名家である加賀家の御曹司なのだ。
特に親しくもない部下の由梨を妻とすることになんのメリットがあるのだろう。
由梨の素朴な疑問を加賀は静かな眼差しで受け止める。
「…私が社長となることに、少なからず反発する者も出るだろう。」
由梨は肩をぴくりと震わせた。
東京の屋敷の口うるさい親戚達の顔が浮かんでは消えた。
「もちろんそのような反発は私も…今井会長にとっても想定内のことではあるが…君が私の妻となれば、ある一定の理解は得られるかもしれん。」
なるほどと加賀の言葉を由梨は冷えた心で聞く。
ようやく由梨にも加賀の意図が理解できた。
今井家の娘である由梨と次期社長である加賀の婚姻は、今回の異例の人事を穏便にするための手段だというわけだ。
ついさっきまでは加賀のように地位が高く有能な人物がなぜ由梨を妻にするなどという突拍子もないことを言いだすのか理解できなかったけれど、今、全てが腑に落ちた。
由梨は加賀が次の社長となるための駒なのだ。
そのことを頭で理解したと同時になぜか由梨の心にもやもやとしたものが広がってゆく。
一瞬でも女性として望まれているのではと勘違いした自分が恥ずかしい。
加賀のように成熟した立派な男性が由梨のように世間知らずの女を求めるはずがないというのに。
由梨は加賀から目を逸らして頷いた。
「…よく分かりました。」
少し声が震えてしまった。
加賀が由梨に話しをしたということは当然叔父も了承済みの話なのだろう。
なんだ、結局政略結婚なんじゃないかともう一人の自分が呟くのが聞こえた。
所詮自分には拒否権のない話なのだ。
由梨は改めて加賀をまじまじと見た。
今日の今日までそういう対象として彼をみたことはなかった。
考えてみれば、由梨は今まで男性と親しく付き合ったこともなければ、恋しく思ったことさえない。
女子校育ちで男性と知り合う機会が少ない上に恋などしても無駄だという気持ちが、そもそも男性への興味を失わせていたように思う。
必然的に、加賀のこともほとんど知らない。
「あの…副社長はおいくつですか。」
由梨は恐る恐る聞いた。
結婚相手になるかもしれないのになにも知らないでは不都合だ。
「…33だ。」
加賀はそんなことも知らないのかというような顔で答えた。
「えっ!」
由梨は思わず声をあげてしまう。
そして、慌てて口に手をあてて彼から目を逸らした。
加賀はそんな由梨をジロリと睨むと、
「意外か。」
と、聞いた。
由梨は、両手で口を覆ったまま真っ赤になって首を振った。
もちろん意外だった。
なんとなく四十歳くらいかなと思っていたからだ。
老けて見えるということではなく彼の持つ独特の落ち着きがそう思わせる。
加賀はそんな由梨の様子に右の眉をあげると、ニヤリと笑った。
(あ…また…。)
加賀が見せる笑顔に由梨の胸がどきりと音を立てる。
笑顔は年相応かもしれないと思った。
目の前の男は実力も地位も揃った、本当であれば由梨など足元にも及ばない存在だ。
自分が隣に添う姿など想像もできない。
けれどなぜか先ほど彼が見せた笑顔をもう少し見たいとも思った。
「少し考えてみるといい。…無理強いはしない。断ったとしても可能な限り社にいられるよう手配しよう。」
加賀が、お茶の残りを飲み干して言った。
「考える…?」
意外な話だった。
叔父と話がついているならば、由梨の意志など関係はないはずなのに。
「…私が選ぶのですか?」
加賀が頷く。
「そうだ。君が決めるんだ。」
由梨は目を見開いた。
このように重要なことを自分で決めて良いのだろうか。
もし由梨が断ったら、加賀の立場はどうなるのだろう。
「…ふ、副社長は、どうするべきだと思いますか。」
由梨は震えるそうになる声を励まして聞いた。
「私の望みは先ほど言った通りだ。君と結婚するべきだと思っている。」
一片の迷いもなく加賀は言う。
けれどそれは今井コンツェルン北陸支社の社長としての言葉だと由梨は思う。
加賀隆之自身は由梨と夫婦となることをどう思っているのだろうか。
もちろんそれを聞くことはできなかった。
「しかし、先ほど言ったように強制ではない。ゆっくり考えるといい。」
それだけ言うと加賀は立ち上がった。
会食は終わった。
けれどしばらく由梨は立ち上がることすらできずに、座ったまま膝の上の震える手を見つめていた。
え…と声を漏らしたまま、答えるどころか相槌すら打てないでいる。
けれど当の本人は涼しい顔で、もう一度繰り返した。
「私の妻になるというのはどうだ。君はここへいられるし、もちろん仕事も続けてもらって構わない。…妻が秘書というのはかえって好都合だ。」
まるでコピーをとっておいてくれとでも言うかのような気軽さで、とんでもないことを言う目の前の男を由梨は唖然として見つめる。
その表情からは、彼が何を考えてそのような提案をするのか、全く読み取ることはできない。
「私は…。」
それでも何か言わなければと、由梨は口を開く。
「ただこの街に残りたいというだけで…。」
由梨の希望はここで穏やかな生活を送ること、ただそれだけだ。
「…都合がいいとは思わないか。私の妻になればもう今井家から呼び戻されることはない。この街にいて仕事を続けられる。」
そうかもしれないし、そうじゃないような気もする。
由梨の頭の中で、色々な思いがぐるぐると浮かんでは消えた。
突然の加賀の提案に混乱してとてもじゃないけれど、良いも悪いも判断がつかない。
なにしろ彼の提案は、今まで由梨が想定していた、どのパターンからも大きく外れているのだから。
「あのっ。」
ふと思いついて由梨は加賀に問いかけた。
「…副社長は、それでよろしいのですか。」
由梨は加賀のプライベートについて独身だということ以外、何も知らない。
恋人はいないのだろうか。
普通に考えてこれだけの男ぶりで社会的地位のある男性であればすでに妻帯していてもおかしくはない。
ましてや加賀は名家である加賀家の御曹司なのだ。
特に親しくもない部下の由梨を妻とすることになんのメリットがあるのだろう。
由梨の素朴な疑問を加賀は静かな眼差しで受け止める。
「…私が社長となることに、少なからず反発する者も出るだろう。」
由梨は肩をぴくりと震わせた。
東京の屋敷の口うるさい親戚達の顔が浮かんでは消えた。
「もちろんそのような反発は私も…今井会長にとっても想定内のことではあるが…君が私の妻となれば、ある一定の理解は得られるかもしれん。」
なるほどと加賀の言葉を由梨は冷えた心で聞く。
ようやく由梨にも加賀の意図が理解できた。
今井家の娘である由梨と次期社長である加賀の婚姻は、今回の異例の人事を穏便にするための手段だというわけだ。
ついさっきまでは加賀のように地位が高く有能な人物がなぜ由梨を妻にするなどという突拍子もないことを言いだすのか理解できなかったけれど、今、全てが腑に落ちた。
由梨は加賀が次の社長となるための駒なのだ。
そのことを頭で理解したと同時になぜか由梨の心にもやもやとしたものが広がってゆく。
一瞬でも女性として望まれているのではと勘違いした自分が恥ずかしい。
加賀のように成熟した立派な男性が由梨のように世間知らずの女を求めるはずがないというのに。
由梨は加賀から目を逸らして頷いた。
「…よく分かりました。」
少し声が震えてしまった。
加賀が由梨に話しをしたということは当然叔父も了承済みの話なのだろう。
なんだ、結局政略結婚なんじゃないかともう一人の自分が呟くのが聞こえた。
所詮自分には拒否権のない話なのだ。
由梨は改めて加賀をまじまじと見た。
今日の今日までそういう対象として彼をみたことはなかった。
考えてみれば、由梨は今まで男性と親しく付き合ったこともなければ、恋しく思ったことさえない。
女子校育ちで男性と知り合う機会が少ない上に恋などしても無駄だという気持ちが、そもそも男性への興味を失わせていたように思う。
必然的に、加賀のこともほとんど知らない。
「あの…副社長はおいくつですか。」
由梨は恐る恐る聞いた。
結婚相手になるかもしれないのになにも知らないでは不都合だ。
「…33だ。」
加賀はそんなことも知らないのかというような顔で答えた。
「えっ!」
由梨は思わず声をあげてしまう。
そして、慌てて口に手をあてて彼から目を逸らした。
加賀はそんな由梨をジロリと睨むと、
「意外か。」
と、聞いた。
由梨は、両手で口を覆ったまま真っ赤になって首を振った。
もちろん意外だった。
なんとなく四十歳くらいかなと思っていたからだ。
老けて見えるということではなく彼の持つ独特の落ち着きがそう思わせる。
加賀はそんな由梨の様子に右の眉をあげると、ニヤリと笑った。
(あ…また…。)
加賀が見せる笑顔に由梨の胸がどきりと音を立てる。
笑顔は年相応かもしれないと思った。
目の前の男は実力も地位も揃った、本当であれば由梨など足元にも及ばない存在だ。
自分が隣に添う姿など想像もできない。
けれどなぜか先ほど彼が見せた笑顔をもう少し見たいとも思った。
「少し考えてみるといい。…無理強いはしない。断ったとしても可能な限り社にいられるよう手配しよう。」
加賀が、お茶の残りを飲み干して言った。
「考える…?」
意外な話だった。
叔父と話がついているならば、由梨の意志など関係はないはずなのに。
「…私が選ぶのですか?」
加賀が頷く。
「そうだ。君が決めるんだ。」
由梨は目を見開いた。
このように重要なことを自分で決めて良いのだろうか。
もし由梨が断ったら、加賀の立場はどうなるのだろう。
「…ふ、副社長は、どうするべきだと思いますか。」
由梨は震えるそうになる声を励まして聞いた。
「私の望みは先ほど言った通りだ。君と結婚するべきだと思っている。」
一片の迷いもなく加賀は言う。
けれどそれは今井コンツェルン北陸支社の社長としての言葉だと由梨は思う。
加賀隆之自身は由梨と夫婦となることをどう思っているのだろうか。
もちろんそれを聞くことはできなかった。
「しかし、先ほど言ったように強制ではない。ゆっくり考えるといい。」
それだけ言うと加賀は立ち上がった。
会食は終わった。
けれどしばらく由梨は立ち上がることすらできずに、座ったまま膝の上の震える手を見つめていた。