この雪の下で春を待つ
一般的に使われる名の他に呼ばれる名前がある。
それは、人々が感動して名付けたものや、人々が恐怖して付けた名もある。
人の価値観が、名もないものに名を付ける。誰がそう望んだわけでもなく、自然と呼び名が人によって与えられていく。
「理解できない。したくもない」
「リーク?」
「…フー、お前の名前は誰が付けた?」
「知らない。でも、フーはフーだよ?」
きっとと、リークはフーの首につけられていた。今は地面に転がっているプレートを見る。
『E-200・7/20・00』
きっと、フーは『200』なんだろうな。
戒めを解いても、名がそれを縛る。証が消えても、名前という名の証拠は残ってしまう。
もう、この子は自分を『200』と認識してそれを認めてしまっている。もうきっと、この子はずっと奴隷のまま。