リリカルな恋人たち
謙介は自営の美容院の顧客に誘われて断れなくてついていった、と弁解し、一応は知世の許しも得たけれど、わたしはその顛末よりももっとほかのことが気になっていた。
成田に向かっている間中、ずっと。

普段仏頂面の謙介は、女の子が股がって来たときどんな顔するのかなって。
音楽が変わってサービスタイムを迎えるとき、眉根に皺を寄せたりするのかな、って。

今はもう、全然興味ないんだけど。

知世は自分がいない夜の謙介の行動を警戒し、わたしが一緒なら大丈夫と思ってる。
つまり、信用されていると同時に、安全だと思われている。わたしが謙介とどうかなるなんて考え、眼中にもないということだ。


〝三十までお互い独り身だったら、俺ら結婚するか〟


わたしがずっと、大切にしてきたものなど彼らにとって、焦眉の問題ではないといってこと。

店内で、二千年代のJ-popが流れてる。
有線のこういうチャンネルがあるのかも。


「謙介さ、矢郷シュウと知り合いだったんだ」


〝駅前デンタルクリニック〟と手書きで書かれたレシートを指に挟み、ひらひら揺らしてわたしは聞いた。


「矢郷シュウ?」


わたしの茄子を横取りして、謙介が復唱する。


「ほら、小説家の。なんかドラマ化したやつ毎週見てるって言ってなかった?」
「いや、矢郷シュウは知ってるけど、知り合いって?」
「だって、結婚式に来てたじゃん」
「俺らの、結婚式に?」


顔を見合わせた謙介は、僅かに目を見開いた。注視していてもわからないくらいのミリ単位で。


「知世の親戚かなぁ。いや、でも有名人と親戚なんて聞いてないけどな」


話し方からして、まるで見当もつかない、といった感じだった。

一体どういうこと?
あの人……もしかして、謙介と知世の結婚式にきた人じゃない、とか?

隣の会場で開かれた別の式に参列してた人で、わたしが同じ結婚式にきたんだって早合点しただけっぽい?

……謎だ。


「真っ直ぐ帰るよね? こっからいかがわしい店とか行ったりしないよね」


居酒屋の前で別れるとき、わたしは片手を挙げた。

おう、と軽い調子で謙介も手を挙げる。それがなんか、宣誓してるみたいだった。


「知世のこと、もう傷つけないでよ?」


夜気に包まれ肩越しに振り向いて、謙介は、曖昧に笑った。

曖昧が得意だ。
謙介は、白黒つけずのらりくらりする。

わたしたちのあの、年季の入ったセピア色の口約束を、ときどきわたしが酔っ払って持ち出すたびに平然と交わしてきた。

謙介は、仏頂面で、曖昧な返事をする。
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