リリカルな恋人たち
えっへんと自慢げに鼻を高くして言った先生の隣で、冷静な彩さんは凍てつくような冷たい声で、まるで唾でも吐き出すように刺々しく言った。

まだなんか、夢のようで非現実的な世界に立っているようなわたしは、兄妹のやり取りを放心状態で見つめる。


「ってことで友ちゃん、こっちこっち」


先生が手招きをする。
呆然とした動きで彩さんに一礼すると、わたしはのそのそと鉛のように重たい足を引きずるように歩き、先生についてった。

三階建てのデンタルクリニックの三階が居住スペースになっていて、エレベーターで上がった。


「昔家族で住んでたんだけど、今はひとりなんだ」


リビングで、わたしが棒立ちしていると、先生は首をすくめて言った。


「母は亡くなって、父は新しく開業させた審美クリニックのほうにいっちゃって、妹は結婚してね」
「お父さまってもしかして……昔わたし、治療してもらったことあるかも」


キッチンでコーヒーを淹れている先生は、穏やかに微笑んだ。


「そうだね。友ちゃんはここに定期的に通ってくれてたね。あ、そこ座ってよ」
「う、うん……」


頷くみたいな、お辞儀みたいなどっちともとれる動きをして、わたしはソファに腰を下ろす。

駅前デンタルクリニックの院長先生がお父さまで、昔は家族でここに住んでて。
妹さんに秋、と呼ばれていた。それが本名、だよね?

あの日ホテルで初対面なはずなのに初めて会った気がしなかった、警戒心が薄かった原因が徐々に紐解かれる。

……わたし、前からよく知ってたんじゃん。

ホテルで出会う前から。
あなたが矢郷シュウになる前、から。


「加瀬くん、だよね。その……久し振り」


淹れたてのコーヒーが浸ったカップをわたしに手渡した相手を、上目遣いで窺うように見上げる。


「やっと思い出してくれた」
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