リリカルな恋人たち
クッと、頬の筋肉を弛緩させた加瀬くんは、コーヒーを一口すすりながらわたしの隣に座った。

いくつもの名前を持つ彼の正体を思い出した、というか気づいたわたしは、こそばゆい気持ちでいっぱいだった。

彼は、加瀬 秋(かせ あき)くん。中学の同級生。
すごく頭がよくて、分厚いメガネをかけていて、髪の毛はもっさり長くって、いつもひとりで教室の隅っこで本を読んでいた。

だから、髪をこうしてきちんとカットしほどよくセットして、牛乳瓶の底みたいなメガネを外したらこんなに美しい顔が隠れていたなんて。気づかなかった。

同じクラスだったのは、一年生のときだけだったし。
二、三年の頃はほとんど接点がなくて、その頃、お母さまが病気でお亡くなりになって……。
加瀬くんはあまり学校に来なくなった。
高校からはたしか全寮制の方に行ったと聞いた。


「謙介の結婚式は、中学の同級生として招待されてたの?」
「うん。延岡くんはうちの患者さんだし、僕は延岡くんの美容室に客として通ってるからね。接点があって。ここのとこクリニックやら執筆やらけっこう忙しくてさ、たまには仕事を忘れてゆっくりしようと思って部屋とったんだ」
「そ、そうだったんだ……」


コクリと頷き、わたしは両手で持ったコーヒーカップを口元に近づける。のぼる湯気に、ふうっと息を吹きかけた。


「わたしだけ知らなかったなんて、恥ずかしいっていうか」
「友だけじゃないよ、誰も気づかなかったよ」
「へ?」
「延岡くんも僕から声かけたから気づいたし、結婚式では同級生のうちで誰ひとりとして僕が加瀬だって気づかなかった」


ことり、とテーブルにカップを置き、いつになく落ち着いた口調で言った加瀬くんは真横のわたしに体を向ける。


「あの頃は友だけが、僕に優しくしてくれたね」


向き合って、こうして昔話をするなんて。なんだか花恥ずかしくて、心がくすぐったかった。


「そ、そんなこと」
「僕ドジだから、ほら文化祭のときみんなで残って書いた看板に絵の具こぼしちゃってさ」
「……あったね」
「みんなに責められて、居場所なくなった僕に、友は優しく言ったんだ。〝ちょっとくらい色が違っても、交ぜちゃえばわからないんじゃない? 使えるよ、きっと〟って」
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