リリカルな恋人たち
加瀬くんは、もうあの頃の加瀬くんじゃなくて、大人になったんだから。
もう視野を狭くする必要はない。

わたしに固執する必要はないのだ。
心も体も、大人になったんだから。


〝気ぃ緩めてっと、ほかの女に持ってかれるかもよ〟


そうだよ。

それに気づいて、いつか、わたしよりも魅力的な誰かに持ってかれるかもしんない。

っていうか、今まさにこの瞬間にも、迫られて、わたし以外の女の子に触れてるかもしれないじゃない。
強がって、トイレなんか来ちゃってばかみたい……。

手をごしごしと必要以上に洗って、わたしはハンカチで拭いた。

わたしたちはもう、大人。

でも……。


〝内緒だよね、友ちゃん〟


ほかの誰かと、なんて、想像もしたくもない。
わたしだけの加瀬くんでいてほしい。

……なんて。


「……サプラーイズ……。はは」


洗面台の鏡に写る自分の笑顔は引きつっている。
独占欲が強くなってる自分のコントロールできない白波のような感情に、驚きを隠せなかった。

トイレを出て、三人が待つテーブル席に戻る。


「おかえり。すっきりした?」


加瀬くんがなに食わぬ顔で澄まして言う。

……全然だよ。もやもやだよ。


「んなこと聞くな」


謙介がぶはっと吹き出した。
ワイングラスはわたしがいない間にまたなみなみと注がれてた。

歯の治療中に我慢してた甘いお菓子が、わたしの目の前に置かれている。
可愛いオバケのイラストが付いた透明の袋に綺麗にラッピングされて。


「これは僕から。治療がんばったご褒美」


ワンコみたいな人懐こい笑顔の加瀬くんに、わたしは体を向ける。
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