リリカルな恋人たち
「あたしの話、シュウから聞いてます? けっこう付き合い、長いんですよ」


彼女はそう言いながら、初めてわたしに笑顔を見せた。勝ち誇ったような笑顔。


「……そ、そうなんですか。すみません、知らなくて」


ただの担当編集じゃないんだな。
勘が鋭くなくたって一目瞭然。

もしかしたら仕事の関係だけじゃないのかも、って。自然と思考が進んでしまう。


「そうですか。シュウがあなたと婚約されたことは、あたしも寝耳に水だったので、多少は驚きましたけど」
「はあ……」
「彼ってほら、ちょくちょく突拍子もないことするじゃないですか。それで、うまくいったりいかなかったりするけど、そういう経験も作家にとっていいスパイスになって、より豊穣に作品を書き上げる助力になるなら、あたしは反対しないわ」
「……はあ?」


なんだかよくわからないけれど、これが、作家と担当さんの常識?

えっと……。

つまり、加瀬くんがわたしと結婚するのは、人生経験を豊かにするためであって、それをわざわざ担当である丸川さんの同意を得ないといけないってこと?

混乱する頭のなかを整理していると、わたしはあることを思い出した。
それは、先日謙介たちとカフェバーにいったとき、加瀬くんが知世に話したこと。


「あ、でも、聞いてました。ペンネームは担当の方につけてもらったって」


思い出しながら言うと、みるみるうちに彼女の表情が弛緩された。
優越感に満ち、自信に溢れた顔つきで彼女は、わたしの前に立ちはだかった。


「そうなんです。八月五日はあたしたちにとって、特別な日なんですよ」


薄く笑い、わたしの出方を窺っている。

特別な日? って……。

記念日?

出会った日?
付き合った日?

それとも……。


「婚約にはびっくりだけど、きっと遊んでる女の子がいるんだろうなとは思ってたんですよ。彼はちょっと変わってるけど、魅力的ですから。嫌でも女の子が寄ってくるんです」


うんざりとしたように言って、丸川さんは腕を組んだ。
< 38 / 42 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop