マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~
「そういえば、今日はいいのか?」
「ん?」
急に声を掛けられ、ゴクンと飲み込んだ芋が喉に引っ掛かる。こほっと軽く咳をしながら、目の前の彼を見た。
「裕子さんにビールを注がなくて良かったのか?」
「あっ!」
瓶ビールに気を取られてすっかり忘れていた私は、慌てて小さなグラスにビールを注いで、母の写真の前に置いた。
家でお酒を飲む時は、こうして母にも供えることをもう長い間続けている。私と晩酌をすることを楽しみにしていた母が少しでも喜んでくれたらいい。
「忘れててごめんね、お母さん。」
両手を合わせながら遺影に向かって呟く。
後ろに気配を感じ振り向こうとした時、脇からスッと長い腕が伸びてきた。
「ほら、これも一緒に」
コトリ、とビールのグラスの隣に豆皿が置かれる。見ると混ぜご飯がちょこんと可愛く盛られていた。
斜め上を振り仰ぐ。くっきりと横に伸びる瞳がこちらを見下ろしている。そこには同情も憐みも見当たらない。
「…ありがとうございます」
私の言葉に黙って頷いた彼は、踵を返してもとの場所に腰を下ろした。
台風の後自宅マンションから荷物を運び出す時に、私は父と母の遺影と位牌もちゃんと持って出た。三か月間だけとはいえ、二人を残して行くことなんて出来ない。持ち帰った遺影と位牌は、自室に当てられた寝室に置くつもりだった。
『寝室で線香を上げるのは火災が心配だから、リビングに置くといい』
『線香はあげなくても大丈夫ですから』と言う私に、『俺が遠山夫人に叱られるだろう』と言われ、言わなければ分からないのでは、と思いつつも言葉に甘えることにした。
言われた通りに棚の上に置かれたそれには、大きな効果を発揮した。なんとなく母の写真があるだけで、リビングが深い呼吸が出来る場所に変わったような気がする。