マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~
ダイニングテーブルに沈黙が降りる。
しめっぽくなった雰囲気の中、私はグラスに残っているビールをグビグビと一気に飲み干し、「美味しい」と敢えて口にする。
「実は私、大学生の時はビールが飲めませんでした」
目の前の彼が私を見て、瞳をしばたかせた。
表情はあまり変わらないけれど、この二週間で彼の気持ちが少しは分かるようになってきた。きっと今『嘘だろう?』と思っている。
「嘘だろ?」
ほら、やっぱり。
くすっと笑って「嘘みたいな本当の話です」と言うと、彼は黙って瞬きを二回した。
「苦いのが駄目だったんですよ」
「それでよくビール会社に就職しようと思ったな」
「そうですね。私もそう思います。本当は国家公務員志望だったんですよ、私」
「そうだったのか……どうして民間に変更したんだ?」
「……目的が果たせなくなったので」
「目的?」
「安定した職業に就いて楽させたかったんです……母を」
微笑みながらそう言うと、高柳さんは一瞬だけの眉間に皺を寄せた。そして一拍間を空けて訊いてきた
「それにしても、よく自分が苦手なビールの会社を志望したな」
「母が好きだった物を追求してみたくなったんです。転勤があって色んな場所に行けるのもいいな、と思いました」
「女性は転勤を避けたがることが多いけど、それが良かったのか?」
「はい。気ままな独り身ですし、知らない場所知らない人の中で仕事をするのもいいかと。母が生きていた頃は、母を一人にしたくなくて転勤のない公務員がいいと思っていましたが」
「そうか――」
「はい」
いつのまにか身の上話になっていた。