マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~
「雪華さん」

幾見君の硬い声に我に返った。

「手を離してください、矢崎さん」

声が震えないようにお腹に力を入れると、自然と体の他の場所もシャンとしてくる。
掴まれている手に力を込めて払うように引き寄せると、矢崎さんの手が離れた。その反動で後ろによろめいた私を、背中ごと幾見君の体が受け止めた。

「大丈夫ですか?」

「うん。ありがとう、幾見君」

背中を支えてくれる幾見君から離れ、上体を立て直そうとした時、それまで黙ってこちらを睨んでいた矢崎さんが口を開いた。

「そういうわけか――」

その声色には明らかな侮蔑が滲み出ている。

「お前もずいぶんご立派になったな」

「何を失礼なことを――」

講義の声を上げようとした幾見君を遮って、矢崎さんはひと際声を張り上げるように言った。

「年下の男を転がせるようになったとは――俺と付き合っていた時はキスすらさせなかったお堅い女が」

「なっ!」

羞恥で顔がカッと熱くなる。

「あの時は見かけ倒しのハリボテ女だったが、今は違うんだろ?――ああ、今はお堅いフリをしてかかったやつを挿れま」

「失礼なことを言わないでください!」

言われていることのあまりの恥ずかしさで固まっている私の隣で、幾見君が耐え切れないと声を上げた。

「これ以上失礼なことを言う様なら、ハラスメントとして上に報告しますよ!」

幾見君がきつい口調でそう言うと、矢崎さんは口を噤んだ。その目はきつく私を睨んだまま離さない。
幾見君は私の前に一歩出て、庇うように私を背中に隠した。

私は小刻みに震える体を支えるのに精いっぱい。
次の瞬間――

「何をやっている」

後ろから聞こえた声。振り向かなくてもそれが誰のものか分かる。
じわりと胸の底が熱くなった。
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