マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~
「何をしている――」

低く呻る声が、薄暗い部屋に這う。

矢崎さんが振り上げた手を高柳さんが掴んでいる。

「今、青水に何をしようとした」

もしも視線が凶器になるとしたら、きっと矢崎さんは一瞬でやられていただろう。それほどの威力を持った鋭い目で、高柳さんは矢崎さんを睨みつけていた。
射殺されそうな視線で見下ろされている矢崎さんは、ひるんだ表情をして固まっている。

「その手を離せ」

「うっ」

矢崎さんが顔をしかめて呻ったので、高柳さんが掴んだ手に力を込めたのが分かった。

「今すぐ青水を離すんだ」

掴まれていた腕が解放され、締め付けられる痛みが消える。もうこれ以上立っていられなかった私は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

高柳さんは矢崎さんの腕を掴んだままこちらをチラリと目だけで見た。

「こ、…こいつが誘ってきたんだ」

矢崎さんの台詞に両目を見開く。
何を言っているのか、意味が分からない。

「昔付き合っていた俺のことを、こいつが未練タラタラで誘ってきたんだ。だから相手をしてやっていただけだ」

「なっ、」

事実無根のことを言われ、頭が真っ白になる。否定したのに、あまりのことに反論の言葉が出ない。
私が反論しないのをいいことに、矢崎さんは勝手な言葉を連ね続ける。

「真面目な顔で純情ぶって、男を引っかけるのがこいつの手口なんですよ。そりゃ、会社でうっかり引っ掛かった俺も少しは悪いんでしょうが、別に大したことはしていませんよ」

つらつらと早口で述べた言葉はどれも真実ではなくて、私は「違う!」と叫びたいのに張り付いたように喉が開かず、ただ弱々しく頭を左右に振ることしか出来ない。
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