マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~
 よかった。なんとか旦那様の要望にこたえられたみたい。
 
 こっそり安堵の息をつく。――が、それもつかの間のことだ。
 滉太さんが再び口を開いた。

 まるで親鳥から餌をもらうひな鳥のような仕草なのに、濡れて光る唇が妙に扇情的で目が離せない。

 あの唇がいつも……。

 だめだめだめだめ! 余計なことを考えてはだめよ雪華!!
 
 かっと燃え上がりそうになった顔を抑えるべく、スプーンを握りしめ、今日何度目かの呪文を唱えた。

 滝に打たれる修行僧さながらに精神を統一させながら、ひたすらプリンを滉太さんの口に運び、残りが三分の一ほどになった。
 すると突然、彼の口がぴたりと止まった。

 どうかしたの? と口を開きかけたが、彼の方が早かった。

「熱を出したのが幾見だったら雪華はどうした?」
「え?」

 目をしばたたかせると、うかがうようにじっと見つめられる。

「心配で見舞いに行ったか?」

 先輩として、チームリーダーとして心配はするけれど、お見舞いに尋ねていくほどの間柄ではない。

 そう答えようとしたら、滉太さんがふいっと顔を逸らした。

「おまえが幾見の心配をするのが嫌で、あいつにシャツとタオルを貸したとしたら?」
「え」

 両目を大きく見開いて、滉太さんをまじまじと見つめると、彼は視線をさ迷わせた。その耳の端がほんのりと赤く色づいているのに気づく。

 もしかして……。

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 視線を逸らしたままそう言った彼に、私は自分の予感が当たっていることを確信する。一度すっと息を吸い込んでから口を開いた。

「部下を守るのも上司の仕事のうち。理由はどうあれ、高柳統括のご判断に間違いはありません」

 きっぱりと言い切ると、滉太さんが目を見張った。その目を見ながら、ちょっぴり怒った声を出す。

「それに、誰が相手でも具合が悪い人のことは心配になるものでしょう?」
「そう、だよな……」

 滉太さんはうなるようにつぶやくと、かくんとこうべを垂れた。
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