異世界にトリップしたら、黒獣王の専属菓子職人になりました
――父さんと同じことになるところだった。

元の世界の医療なら、父親は心筋梗塞か脳梗塞といった診断になっただろうか。はっきりとした原因が不明なら、死亡診断書には心不全と書かれただろう。

母親はその方面の発作がまだ軽い方だったから何とか持ち直しただけで、医者が言った通り、『完治するとは思わず、これ以上悪くならないように』しなければならない。つまり『無理を』させないこと。

「今度こそゆっくり休んでね。私、頑張るから」

今日くらいは店を休みにして母親についていたかったが、薬のことを考えるなら一日の売り上げをここで捨ててしまうわけにはいかない。

手を伸ばしたメグミは、サユリの額に乱れてのっていた前髪を払い、眠っているから聞こえないのは分かっていても言葉を添える。

「私に結婚を勧めるのが最近増えてきたのは、自分がいなくなっても夫や子供がいればひとりぼっちにならないって思ったからでしょ? でもね、夫にしても子供にしてもそれぞれが大切な人になるのと同じで、母さんは母さんなんだよ」

新たな家族ができれば孤独からは守られるかもしれないが、亡くなった人の替わりには誰もなれない。結婚したからといって、母親がいなくなってもいいとはならないのだ。

「元の世界のことを話せるのは、もう母さんしかいないんだからね。ちゃんと休んで。お願い」
返事はない。これはメグミの決意表明のようなものだった。

彼女は店に出ると、作業場で今日の和菓子を作り始める。
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