結婚するには乗り越えなくてはいけない壁があるようです



「なんだかご機嫌ね。肌艶もいいし」


翌日。

足取りの軽い私に目敏く気が付いたのは関谷さんだ。


「週末、いいことあったの?」


ニヤニヤした顔で詮索されると普通に答えにくい。

かと言って無視も出来ないし、と悩んでいると、香山さんが助け舟を出してくれた。


「病棟にポータブルの心電図、どっちか行ける?」
「外来から肺機能検査」
「外注項目の追加」
「採血管が違う。血液固っちゃってる。採り直しの連絡して」


休む間もない香山さんからの指示は、助け舟ではなさそうだ。

週明けの月曜日に加えて技師長不在とあって、いつも冷静沈着な香山さんでさえパニックの状態の忙しさ。


「また輸血?え?骨髄穿刺も?!」


特殊検査まで依頼が来るとは、先が思いやられる。

効率よくやらないと、催促の電話が鳴り止まない。

そう思って手と足を動かし、いくつもある機械を行き来していると、香山さんに止められた。


「ねぇ。松島さん。骨髄穿刺、出来たっけ?」

「経験はありますが」


数をこなしていない、経験の浅い新人に、忙しい時に特殊な検査は任せないはずだけど。


「何かあれば呼んでくれて構わないから、行ってきて」


関谷さんは今、エコーや心電図などの生理検査に出てしまっているし、香山さんの方は電話対応で手一杯だ。


「分かりました」


行くしかない、と覚悟を決めて、必要な道具を手早くバットに乗せ、検査室がある一階から病棟の三階まで駆け上がる。


「おっと」


最後の踊り場で尚さんと出くわした。


「そんなに急いでどうした?」


院内で会うと、普段と違う感じがする。

白衣姿の尚さんもまたかっこいい…だなんて、見惚れている場合ではない。

骨髄穿刺に行く旨を伝えた。


「患者にとってキツい検査だな」

「そうですね」


補足の情報として、香山さんから「患者は貧血の原因が特定出来ず、血液・造血器疾患が疑われるため」と聞いてはいるものの、骨髄穿刺は患者にとって決して楽な検査ではない。

検査する側も失敗出来ないというプレッシャーがある。

今更になって、関谷さんに代わって私が生理検査に入れば良かったと思い始めた。


「杏。そんな不安そうな顔、患者の前ではするなよ」


額を小突かれて、邪念を振り払うように首を横に振った。

尚さんのいう通り、不安なのは患者さんの方なのだから。


「担当医は?」


骨髄穿刺は医師が行う。

検査技師は吸い上げられた骨髄を、顕微鏡で見るための作業をしたり、他の検査用の処理を行うだけ。


「戸澤先生です」


50歳、内科のベテラン医師で、医師会の活動を精力的に行い、患者の話もよく聞く評判のいい医者だ。


「となると、あの患者か」


思い当たる人がいるようだ。

でも立ち話している時間はない。


「行ってきます」


と声を掛け、尚さんと別れ、足早に対象患者のいる個室に向かった。

にも関わらず、まだ戸澤先生は来ていない。 

忙しいのに、と内心毒付きながら、患者さんの前では平静になるよう小さく深呼吸して、いつも通り名乗る。
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