結婚するには乗り越えなくてはいけない壁があるようです
いつも通りに仕事を終え、着替えを済ませ、外へ出ると、落ち葉が舞うほどの強風が吹き荒れていた。
羽織っていたトレンチコートの前を閉め、ストールを首に巻き、向かい風に顔を背けながら足早に歩く。
すると病院の敷地から数十メートル先の道路に駐車された黒のセダンが目に入った。
ミラーで確認したのだろうか。
タイミングよく黒のトレンチコートを品良く着こなす男性が出て来た。
「伊東先生」
駆け寄るようにして近付くと、微笑んで迎えてくれた。
「松島さん。お疲れさまです」
「お疲れさまです。えっと、どうかなさいましたか?誰かと約束でも?」
矢継ぎ早に聞くと伊東先生は困ったように微笑んだ。
「今日は松島さんに会いに来ました」
「私、ですか?」
連絡はもらっていないし、約束もしていないのになぜ。
首を傾げると、伊東先生の視線が目の位置からズレた。
「ちょっとごめんなさい」
そう言うと伊東先生は突然、私の肩を抱き、そのまま強引に車の助手席に乗せた。
「え?ちょっと、あのっ」
事態が飲み込めない私は、運転席に素早く乗り込んだ伊東先生に問いかける。
「急にどうしたんですか?」
「スタッフの目を気にするんじゃないかと思って」
言われてパッとサイドミラーを見ると、病棟のスタッフがこちらに歩いて来ているのが見えた。
伊東先生と噂が出ていたと尚さんに言われたことを思い出した。
ようやくスタッフの顔色を伺わずに仕事が出来ると思えるようになったのに、一緒のところを見られたらまた顔色伺う生活に戻ってしまう。
出来るだけ隠れるように、首に巻いていたストールを鼻の下まで引き上げ、顔を覆った。
「あ、いや、そこまでしなくても…クク。大丈夫ですよ。車の中まで覗き込んで見るような人は滅多にいないから」
「そうかもしれませんが」
黒目だけ動かし、隣を伺い見ると、口元に拳を当てて笑っていた。
「笑い事じゃないんですよ」
言いながらストールの位置を目元ギリギリまで引き上げる。
それを見た伊東先生はまたククッと笑ってから、ストールを掴んでいる私の手に触れた。
「その姿。ものすごく可愛いですけど、息苦しいでしょう。人は行ったから外して大丈夫ですよ」
手に触れられて、しかも可愛いなんて言われると、どうにも落ち着かなくなる。
急いで首のストールを外し、手の中に収まるくらいに小さく丸めた。
でも大判のストールは収まりきらず、手の中から溢れ出てしまう。
それをなんとか収めようと格闘していると、隣からまた笑い声が起き、手元に手が伸びてきた。
「貸してください」
言われて手のひらを開くと、ストールが取られ、丁寧に伸ばされ、首に巻かれた。
「…っ!」
あまりに近い距離に動揺を隠せない。
「よし。出来た…って大丈夫ですか?顔、真っ赤ですよ?」
「すみません」
露骨に顔を背け、窓の外を見ることで気持ちを落ち着かせる。
「ハハ。松島さんは本当に可愛いですね。つい手を貸してあげたくなるし、綺麗な肌には触れたくなる。嶋津先生が牽制するのも分かります」
「そんなに褒められたものではありませんよ。それより、伊東先生はどうしてここに?」
「松島さんに会いに」
同じ答えを言わせてしまったことに気付いて、申し訳なくて、運転席側を向き、謝る。
「すみません」
「いえ。僕の方こそ連絡もなしに来てしまい、すみません。少しお時間頂きたいのですが」
今日は特に予定はない。
オンコールの当番でもないし。
小さく頷くと伊東先生は喫茶店に連れて来てくれた。