結婚するには乗り越えなくてはいけない壁があるようです
さて。
私はこれからどうしよう。
尚さんの家庭と古河さんの関係が分かったところで、私はなにも出来ないし、古河さんが告白したとなると、できることはただひとつ。
結果を待つだけ。
「ちょっと、いいか」
伊東先生の告白から3日後。
廊下を歩いていた足を止めて振り返ると、尚さんが立っていた。
「なんでしょうか」
警戒してしまうのは結果が悪いもののような気がしていたからだ。
近付き過ぎず、遠過ぎない距離を保ち、尚さんの言葉の続きを待つ。
ただ、明らかに警戒している私を見て、尚さんは顔を歪め、ネームプレートの入っていない特別室の扉を開けて中へ入るよう促してきた。
わざわざ個室を選ぶなんて、人の往来のある廊下やナースステーションでは話せないようなことなのかも、だなんて、被害妄想にも程がある。
職場でプライベートな話はいかがなものだろうという内容に思考をシフトし、扉を開けてくれている尚さんの前を通り過ぎて、室内に足を踏み入れた。
「杏も座って」
尚さんは続いて中に入り、後ろ手に扉を閉めると、ベッドサイドに備えられているソファーに腰を下ろした。
その向かいの席に座るよう視線を送られたけど、首を左右に振り、立ったまま話を聞く姿勢を整えれば、尚さんはそれが応えだと納得してくれて、話を切り出した。
「検査室から出てくるようになったんだな」
尚さんの視線はバットを持つ私の手元に向けられていた。
予想と違う話に戸惑う。
でも答えなければと、検査室にこもっていたのは日沖さんとのことがあった2日間だけだと正直に伝えた。
「良かったな、いざこざがなくなって」
「はい。でも、どうして知っているんですか?」
聞いたその時、尚さんのPHSの着信音が鳴り響いた。
「悪い」
手をこちらに向けて軽く挙げた尚さんは電話を取った。
「あぁ。……あ、どうも。嶋津です。お世話になっています」
会話の様子からして外線のようだ。
「それに関してはまだ……」
詳しい時間は分からない。
でも感覚的に5分は待っている。
終わる気配のない話に、検査室へ戻る時間が気になり始め、落ち着きなく視線を動かす。
すると気付いた尚さんが小さく頷いた。
だからとりあえず話は終わったものと解釈して会釈をしてから検査室に戻ろうとドアノブに手を掛けた。
それなのに背後から伸びてきた腕に、扉を開けることを制止された。
「びっ!」
びっくりした。
戻っていい、と言うことではなかったようだ。
尚さんの怒りに触れた気がして、体が固まる。
「はい。はい」
尚さんの声が近くで聞こえる。
扉を開けることを諦めているのに、尚さんの手は扉を押さえたまま。
次第に手は私の体に伸び、背後からすっぽり覆うようにして抱き締められた。
背中に感じる温もりに鼓動が早まる。
電話先の相手に聞こえるはずもないのに、私の存在を気付かれないように、呼吸まで止めてしまう始末。
たださすがに苦しい。
そう思った時、電話は終わり、尚さんの手が退けられた。
「あ、あの。すみません。戻っていいものかと思って」
扉の方を向いたまま、謝るも、尚さんは何も言ってくれない。
だから途中になっていた質問をもう一度することにした。
「どうして私が検査室にこもっていたこと、知っていたんですか?」
「知らないはずないだろ。杏は俺がどれだけ杏のことを気にしているか、知らな過ぎる」
背後からギュッと抱き締められてドキッとした。
黙っていると尚さんは小さな声で言った。
「伊東とはどうなった?告白されただろ?」
「それも知っているんですか?!」
あまりに驚いてしまい、声が大きくなってしまった。
「すみません」
謝るも尚さんが許してくれるはずがない。
クルリと体を反転させられ、向き合うなり、同じ質問をされた。
「伊東の告白の返事はなんて答えたんだ?」
「尚さんこそ」
私も負けじと聞くことにした。
「私が尚さんのこと何も知らないと思っていませんか?」
「どういう意味だ?」
「古河さんに告白されましたよね?」
思い切って言うと、尚さんは一瞬固まった。
でもすぐに口元に笑みを浮かべた。
「なんで笑ってるんですか?」
「杏が俺を気にしてくれているのが嬉しいからだよ。杏はいつもいつも俺に興味なさそうだったから」
「そんなことありませんよ。ただ、尚さんはモテるから。いちいち気にしていたら身が持たないんです。でも、古河さんは尚さんの…」
そこまで言ってやめた。
だって、言ったら伊東先生から情報を得たことが知られてしまうし、私は尚さんが話してくれるのを待つと本人に言っていたのだから。
「ごめんなさい」
「いや。だが、どうやら少しは知っているみたいだな。それなら話は早い」
それから室内を見回した尚さんは、目当てのものが見つからないのか、私の手元を見た。
「なにか書けるものを持っていないか?」
「どうしてですか?」
いいから、と言わんばかりに手をひらひらされたので、それなら、とバットを置き、仕事を覚えるのに使っているメモ帳を白衣のポケットから取り出した。
いつも持ち歩いているせいでボロボロだけど、メモを取る程度なら十分だろう。
「年季が入ってるな」
メモ帳を受け取った尚さんは柔らかな笑みを口元に浮かべた。
「俺もこんな風に色々メモを取っていたことがあったな。いや、それより、これ一枚もらっていいか?」
「はい」
答えるのと同時に深く頷くと、尚さんは丁寧に紙を切り、それからペンを手にして言った。
「明日、仕事が終わったらここに来てくれ」
「ここはどこですか?」
バットを手に取りながら身を乗り出して聞くも、尚さんは教えてくれない。
「今は仕事中だろ。のんびり話している場合じゃないんだ」
引き留めたのは尚さんの方なのに。
「よく言いますね」
とはさすがに言えるはずもなく。
でもメモを受け取る手がバットを持っているため塞がっていて受け取れない。
もう一度置いてメモを入れようとした時、尚さんは私のポケットにメモ帳を素早く入れ、それから身を屈めて、耳元でささやいた。
「俺がどのくらい、杏のこと好きか、証明してやる」
「え?」
「すべて片付いた。すべてを、説明するよ」
私はこれからどうしよう。
尚さんの家庭と古河さんの関係が分かったところで、私はなにも出来ないし、古河さんが告白したとなると、できることはただひとつ。
結果を待つだけ。
「ちょっと、いいか」
伊東先生の告白から3日後。
廊下を歩いていた足を止めて振り返ると、尚さんが立っていた。
「なんでしょうか」
警戒してしまうのは結果が悪いもののような気がしていたからだ。
近付き過ぎず、遠過ぎない距離を保ち、尚さんの言葉の続きを待つ。
ただ、明らかに警戒している私を見て、尚さんは顔を歪め、ネームプレートの入っていない特別室の扉を開けて中へ入るよう促してきた。
わざわざ個室を選ぶなんて、人の往来のある廊下やナースステーションでは話せないようなことなのかも、だなんて、被害妄想にも程がある。
職場でプライベートな話はいかがなものだろうという内容に思考をシフトし、扉を開けてくれている尚さんの前を通り過ぎて、室内に足を踏み入れた。
「杏も座って」
尚さんは続いて中に入り、後ろ手に扉を閉めると、ベッドサイドに備えられているソファーに腰を下ろした。
その向かいの席に座るよう視線を送られたけど、首を左右に振り、立ったまま話を聞く姿勢を整えれば、尚さんはそれが応えだと納得してくれて、話を切り出した。
「検査室から出てくるようになったんだな」
尚さんの視線はバットを持つ私の手元に向けられていた。
予想と違う話に戸惑う。
でも答えなければと、検査室にこもっていたのは日沖さんとのことがあった2日間だけだと正直に伝えた。
「良かったな、いざこざがなくなって」
「はい。でも、どうして知っているんですか?」
聞いたその時、尚さんのPHSの着信音が鳴り響いた。
「悪い」
手をこちらに向けて軽く挙げた尚さんは電話を取った。
「あぁ。……あ、どうも。嶋津です。お世話になっています」
会話の様子からして外線のようだ。
「それに関してはまだ……」
詳しい時間は分からない。
でも感覚的に5分は待っている。
終わる気配のない話に、検査室へ戻る時間が気になり始め、落ち着きなく視線を動かす。
すると気付いた尚さんが小さく頷いた。
だからとりあえず話は終わったものと解釈して会釈をしてから検査室に戻ろうとドアノブに手を掛けた。
それなのに背後から伸びてきた腕に、扉を開けることを制止された。
「びっ!」
びっくりした。
戻っていい、と言うことではなかったようだ。
尚さんの怒りに触れた気がして、体が固まる。
「はい。はい」
尚さんの声が近くで聞こえる。
扉を開けることを諦めているのに、尚さんの手は扉を押さえたまま。
次第に手は私の体に伸び、背後からすっぽり覆うようにして抱き締められた。
背中に感じる温もりに鼓動が早まる。
電話先の相手に聞こえるはずもないのに、私の存在を気付かれないように、呼吸まで止めてしまう始末。
たださすがに苦しい。
そう思った時、電話は終わり、尚さんの手が退けられた。
「あ、あの。すみません。戻っていいものかと思って」
扉の方を向いたまま、謝るも、尚さんは何も言ってくれない。
だから途中になっていた質問をもう一度することにした。
「どうして私が検査室にこもっていたこと、知っていたんですか?」
「知らないはずないだろ。杏は俺がどれだけ杏のことを気にしているか、知らな過ぎる」
背後からギュッと抱き締められてドキッとした。
黙っていると尚さんは小さな声で言った。
「伊東とはどうなった?告白されただろ?」
「それも知っているんですか?!」
あまりに驚いてしまい、声が大きくなってしまった。
「すみません」
謝るも尚さんが許してくれるはずがない。
クルリと体を反転させられ、向き合うなり、同じ質問をされた。
「伊東の告白の返事はなんて答えたんだ?」
「尚さんこそ」
私も負けじと聞くことにした。
「私が尚さんのこと何も知らないと思っていませんか?」
「どういう意味だ?」
「古河さんに告白されましたよね?」
思い切って言うと、尚さんは一瞬固まった。
でもすぐに口元に笑みを浮かべた。
「なんで笑ってるんですか?」
「杏が俺を気にしてくれているのが嬉しいからだよ。杏はいつもいつも俺に興味なさそうだったから」
「そんなことありませんよ。ただ、尚さんはモテるから。いちいち気にしていたら身が持たないんです。でも、古河さんは尚さんの…」
そこまで言ってやめた。
だって、言ったら伊東先生から情報を得たことが知られてしまうし、私は尚さんが話してくれるのを待つと本人に言っていたのだから。
「ごめんなさい」
「いや。だが、どうやら少しは知っているみたいだな。それなら話は早い」
それから室内を見回した尚さんは、目当てのものが見つからないのか、私の手元を見た。
「なにか書けるものを持っていないか?」
「どうしてですか?」
いいから、と言わんばかりに手をひらひらされたので、それなら、とバットを置き、仕事を覚えるのに使っているメモ帳を白衣のポケットから取り出した。
いつも持ち歩いているせいでボロボロだけど、メモを取る程度なら十分だろう。
「年季が入ってるな」
メモ帳を受け取った尚さんは柔らかな笑みを口元に浮かべた。
「俺もこんな風に色々メモを取っていたことがあったな。いや、それより、これ一枚もらっていいか?」
「はい」
答えるのと同時に深く頷くと、尚さんは丁寧に紙を切り、それからペンを手にして言った。
「明日、仕事が終わったらここに来てくれ」
「ここはどこですか?」
バットを手に取りながら身を乗り出して聞くも、尚さんは教えてくれない。
「今は仕事中だろ。のんびり話している場合じゃないんだ」
引き留めたのは尚さんの方なのに。
「よく言いますね」
とはさすがに言えるはずもなく。
でもメモを受け取る手がバットを持っているため塞がっていて受け取れない。
もう一度置いてメモを入れようとした時、尚さんは私のポケットにメモ帳を素早く入れ、それから身を屈めて、耳元でささやいた。
「俺がどのくらい、杏のこと好きか、証明してやる」
「え?」
「すべて片付いた。すべてを、説明するよ」