私は姉を車に乗せたくない
私には二つ年上の姉がいる。
姉は地元の高校を卒業後都内の大学に進学し、現在は管理栄養士の資格を得て医大の附属病院で勤務している。
私はまだ大学生だ。
実家から遠く離れた大学の教育学部に籍を置いている。家からあまりに距離があるので大学の近くに駐車場を借りて車通学していた。
ちなみに大学は車での通学を禁止している。
ばれたら大事になるが知ったことではない。
バスはもちろん電車を使っても通いきれないのだ。
車がなければ私の大学ライフはままならない。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
姉のことである。
普段は一人暮らしの姉は週末になると都内から帰ってくる。当人は「親に元気な姿を見せるのは娘の務めでしょ?」と言っているが、本当はご飯をたかるためだろう。
間違いない。
ともあれ、姉はほぼ毎週実家に戻ってくる。ここで容易く推測できるのは姉に恋人の類がいないであろうということ。いたらまず毎度のように帰ってこれるわけがない。
もし恋人がいたらそいつは週末に何やっているんだってことになる。
まあいい。
ちょいちょい脱線しかけるが姉のことである。
姉は県内最大のターミナル駅に着くと私に知らせてくる。車を持たない姉は車を持つ私を足代わりにしているのだ。不満はあるがそこは姉妹である。
この日も私は姉を迎えに車を走らせた。
ターミナル駅で姉を拾い家路を急いでいると姉が言いだした。
「お腹空いた。みーちゃんコンビニ寄って」
姉の空腹は今回に限ったことではない。管理栄養士の知識は己の食を満たすためにどの程度役に立っているのやら。少なくとも「管理」された栄養の摂取はできていないように思える。
「コンビニって……母さんが夕食作ってるから我慢しなよ」
「無理」
きっぱり。
「ここで食べないとお姉ちゃんは死にます」
死にません。
てか、それはないだろ管理栄養士。
「どうせ電車に乗る前に立ち食いそばで食べてきたんでしょ?」
「あのね」
姉が真面目な口調で言った。
「おそばは消化がいいからすぐに胃がからっぽになるのよ」
「そうなの?」
「だから電車に乗っている間にお腹が空いちゃうの」
「それ、嘘だよね」
「嘘じゃないもん」
もん、て。
あんたは子供か。
私が呆れていると姉が少し先のコンビニを指差した。
「あ、あそこにあるから停めて。あの店ならNAN0COが使えるし」
「もう、しょうがないなぁ」
嘆息し私は車を駐車場に滑り込ませる。
ただ、ここで問題が。
がこん!
「はぅっ」
思わず変な声になってしまう。私はそれほどに驚いた。
どうやら沿石の端に乗り上げてしまったらしい。乾いた音が『がこん』に重なっていた。
後ろの席に座っていた姉が静かに告げる。
「あーあ、やっちゃったね」
「やっちゃった?」
「うん、これはあれだね」
「あれ?」
「そう、あれ」
繰り返しになるが、姉は車を持っていない。
ペーパードライバーである。
その姉がしたり顔で言うのだ。
「パンクだよパンク」
「はぁ?」
車の運転歴は私のほうが長いのだ。ろくにハンドルを握っていない姉に偉そうにされるいわれなど微塵もない。
「……あのね姉さん、素人の知ったかぶりは」
「とりあえず駐車場に入れようか。危ないし」
「……あ、うん」
確かに中途半端な位置で停車しているのはまわりの人に迷惑だ。
私は車を安全な場所に移した。状況はおかしくなってしまったが、当初のリクエストどおりコンビニの駐車場である。
「そんじゃ、ちょっと待っててね。あ、みーちゃん何かいる?」
「いらない」
「そっか」
姉はそそくさと車を降り、コンビニの中へと消えた。
私はシートに身をもたれふうっと息をつく。
姉が買い物をしているうちに車の状態をチェックするのがセオリーなのだろう。しかし、なぜかそんな気分にはなれなかった。
私が音と衝撃の正体について頭を巡らせていると、ややご機嫌な様子の姉がレジ袋をぶら下げて戻ってきた。
「さて、みーちゃん」
レジ袋から姉がお握りを取り出す。
「このパンクどうする?」
「え?」
「だって直さないと帰れないよ」
「パンク……なの?」
「うん」
姉がうなずいた。
「あたしにもわかるくらい車体が傾いてるよ」
そこまで指摘されてようやく私は車の様子を見る気になった。
外に出るとなるほど後部が不自然に沈んでいる。ちょうど姉が座っている側、右後輪がパンクしていた。
「姉さん、車から降りて」
「はい?」
お握りをぱくついていた姉が頓狂な声を上げた。
「何で降りないといけないの?」
「そうしないと車がダメになるから」
私は以前どこかで聞いた情報を元に言った。
「だから車から降りて」
「ええっと、あたし食べてる途中なんですけど」
「途中でも降りて」
「まだジュースも飲んでないよ」
「うん、わかったから降りて」
「お腹を満たさないと死んじゃうよ」
「それでもいいから降りて」
「……みーちゃんって、鬼?」
「どうでもいいから降りて」
姉が露骨な態度で嘆息する。
私は後部ドアを開けた。
渋る姉に無言で降車を促す。
姉が大げさに首を振り、ようやく車から降りた。
「で、これからどうするの?」
「JAFに連絡かな?」
「どれくらいかかるの?」
「さぁ、早いかもしれないし遅いかもしれないし」
「あたし早く帰りたいんだけど」
「仕方ないよ、これじゃ走れないし」
「うーむ」
姉はスマホを取り出した。
素早くタップする。
どこにかけたのかと思っているうちに相手が応じた。
「あ、お父さん?」
実家の父でした。
「うん、あずだよ。えっとね、みーちゃんがドジって車がパンクしちゃったの。だから迎えに来て」
少しの沈黙。
まあ、そうだろう。
週末、父は晩酌を欠かさない。この日も飲んでいたとしても何ら不思議ではなかった。
「あー飲んじゃったんだ。なら、お母さんでいいや」
父がダメとなると即座に姉は母に頼った。
JAFは運悪く交通事故と重なってしまったらしく、最短でも一時間は待たねばならないそうだ。
私がそれを伝えると姉は即決した。
「あ、ならあたし母さんの車で帰るね」
宣言通り姉は迎えに来た母の車で帰宅した。
私はJAFを待ち続け、一時間どころか二時間後にようやくパンクを修理してもらった。
家へと走る車中、私が何を思ったか……それはみなさんのご想像にお任せする。
姉は地元の高校を卒業後都内の大学に進学し、現在は管理栄養士の資格を得て医大の附属病院で勤務している。
私はまだ大学生だ。
実家から遠く離れた大学の教育学部に籍を置いている。家からあまりに距離があるので大学の近くに駐車場を借りて車通学していた。
ちなみに大学は車での通学を禁止している。
ばれたら大事になるが知ったことではない。
バスはもちろん電車を使っても通いきれないのだ。
車がなければ私の大学ライフはままならない。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
姉のことである。
普段は一人暮らしの姉は週末になると都内から帰ってくる。当人は「親に元気な姿を見せるのは娘の務めでしょ?」と言っているが、本当はご飯をたかるためだろう。
間違いない。
ともあれ、姉はほぼ毎週実家に戻ってくる。ここで容易く推測できるのは姉に恋人の類がいないであろうということ。いたらまず毎度のように帰ってこれるわけがない。
もし恋人がいたらそいつは週末に何やっているんだってことになる。
まあいい。
ちょいちょい脱線しかけるが姉のことである。
姉は県内最大のターミナル駅に着くと私に知らせてくる。車を持たない姉は車を持つ私を足代わりにしているのだ。不満はあるがそこは姉妹である。
この日も私は姉を迎えに車を走らせた。
ターミナル駅で姉を拾い家路を急いでいると姉が言いだした。
「お腹空いた。みーちゃんコンビニ寄って」
姉の空腹は今回に限ったことではない。管理栄養士の知識は己の食を満たすためにどの程度役に立っているのやら。少なくとも「管理」された栄養の摂取はできていないように思える。
「コンビニって……母さんが夕食作ってるから我慢しなよ」
「無理」
きっぱり。
「ここで食べないとお姉ちゃんは死にます」
死にません。
てか、それはないだろ管理栄養士。
「どうせ電車に乗る前に立ち食いそばで食べてきたんでしょ?」
「あのね」
姉が真面目な口調で言った。
「おそばは消化がいいからすぐに胃がからっぽになるのよ」
「そうなの?」
「だから電車に乗っている間にお腹が空いちゃうの」
「それ、嘘だよね」
「嘘じゃないもん」
もん、て。
あんたは子供か。
私が呆れていると姉が少し先のコンビニを指差した。
「あ、あそこにあるから停めて。あの店ならNAN0COが使えるし」
「もう、しょうがないなぁ」
嘆息し私は車を駐車場に滑り込ませる。
ただ、ここで問題が。
がこん!
「はぅっ」
思わず変な声になってしまう。私はそれほどに驚いた。
どうやら沿石の端に乗り上げてしまったらしい。乾いた音が『がこん』に重なっていた。
後ろの席に座っていた姉が静かに告げる。
「あーあ、やっちゃったね」
「やっちゃった?」
「うん、これはあれだね」
「あれ?」
「そう、あれ」
繰り返しになるが、姉は車を持っていない。
ペーパードライバーである。
その姉がしたり顔で言うのだ。
「パンクだよパンク」
「はぁ?」
車の運転歴は私のほうが長いのだ。ろくにハンドルを握っていない姉に偉そうにされるいわれなど微塵もない。
「……あのね姉さん、素人の知ったかぶりは」
「とりあえず駐車場に入れようか。危ないし」
「……あ、うん」
確かに中途半端な位置で停車しているのはまわりの人に迷惑だ。
私は車を安全な場所に移した。状況はおかしくなってしまったが、当初のリクエストどおりコンビニの駐車場である。
「そんじゃ、ちょっと待っててね。あ、みーちゃん何かいる?」
「いらない」
「そっか」
姉はそそくさと車を降り、コンビニの中へと消えた。
私はシートに身をもたれふうっと息をつく。
姉が買い物をしているうちに車の状態をチェックするのがセオリーなのだろう。しかし、なぜかそんな気分にはなれなかった。
私が音と衝撃の正体について頭を巡らせていると、ややご機嫌な様子の姉がレジ袋をぶら下げて戻ってきた。
「さて、みーちゃん」
レジ袋から姉がお握りを取り出す。
「このパンクどうする?」
「え?」
「だって直さないと帰れないよ」
「パンク……なの?」
「うん」
姉がうなずいた。
「あたしにもわかるくらい車体が傾いてるよ」
そこまで指摘されてようやく私は車の様子を見る気になった。
外に出るとなるほど後部が不自然に沈んでいる。ちょうど姉が座っている側、右後輪がパンクしていた。
「姉さん、車から降りて」
「はい?」
お握りをぱくついていた姉が頓狂な声を上げた。
「何で降りないといけないの?」
「そうしないと車がダメになるから」
私は以前どこかで聞いた情報を元に言った。
「だから車から降りて」
「ええっと、あたし食べてる途中なんですけど」
「途中でも降りて」
「まだジュースも飲んでないよ」
「うん、わかったから降りて」
「お腹を満たさないと死んじゃうよ」
「それでもいいから降りて」
「……みーちゃんって、鬼?」
「どうでもいいから降りて」
姉が露骨な態度で嘆息する。
私は後部ドアを開けた。
渋る姉に無言で降車を促す。
姉が大げさに首を振り、ようやく車から降りた。
「で、これからどうするの?」
「JAFに連絡かな?」
「どれくらいかかるの?」
「さぁ、早いかもしれないし遅いかもしれないし」
「あたし早く帰りたいんだけど」
「仕方ないよ、これじゃ走れないし」
「うーむ」
姉はスマホを取り出した。
素早くタップする。
どこにかけたのかと思っているうちに相手が応じた。
「あ、お父さん?」
実家の父でした。
「うん、あずだよ。えっとね、みーちゃんがドジって車がパンクしちゃったの。だから迎えに来て」
少しの沈黙。
まあ、そうだろう。
週末、父は晩酌を欠かさない。この日も飲んでいたとしても何ら不思議ではなかった。
「あー飲んじゃったんだ。なら、お母さんでいいや」
父がダメとなると即座に姉は母に頼った。
JAFは運悪く交通事故と重なってしまったらしく、最短でも一時間は待たねばならないそうだ。
私がそれを伝えると姉は即決した。
「あ、ならあたし母さんの車で帰るね」
宣言通り姉は迎えに来た母の車で帰宅した。
私はJAFを待ち続け、一時間どころか二時間後にようやくパンクを修理してもらった。
家へと走る車中、私が何を思ったか……それはみなさんのご想像にお任せする。