クリスマスなんて夢見ない
 カーペットの上に置いた安物のCDラジカセからどこか懐かしい曲が流れてくる。
 遠い異国のシンガーが優しく語りかけるように甘い歌詞の曲を歌っていた。
 山内ひとみ(やまうち・ひとみ)はそのリズムに合わせて身体を揺らしつつ、長い黒髪にブラシをあてる。
 ブラシをかけ終えると、端正な顔を意識して緩ませた。頭の中で十五まで数え、今度はぎゅっと口をへの字にする。
 簡単な顔のトレーニングだ。
 来月の二十日で二十八歳になる。年齢的にはまだまだ若いつもりだが今から表情筋を鍛えておかないと後悔すると彼女は知っていた。
 自分の親を見ればおのずと警戒心は強まる。
 ああはなりたくない。
 トータル六十で一セットとし、三セット目が終えたところでスマホが鳴った。
 リズミカルな電子音。
 ひとみはスマホを取り、画面を確認する。見知った名前と電話番号。
「もしもし」
「あ、山内さん」
 耳慣れたハスキーボイス。行きつけのボードゲーム喫茶「オープンダイス」の松戸(まつど)店長だ。声に似合わぬ童顔の彼は若そうに思われがちだが、ひとみより五歳年上である。
「今年のくりすます会、中止になったよ」
「えっ、どうしてですか」
「みんなそれぞれ予定があるみたいで、人が集まらないんだよ」
「……そうなんですか」
 まるで自分だけが予定のない暇人みたいな言われ方だ。
 でも、それを指摘できるほどひとみは強くなかった。
 ひとみが何も言わずにいると、コホンと咳払いが聞こえた。
「あのさ」
 またコホン。
「山内さんは当日何もないの?」
「あります」
 とっさに嘘が出た。
「だから、欠席を伝えようと思ってたんです」
「そっか。じゃあ、丁度良かったね」
「はい」
「何もないようなら食事でもって……」
「ごめんなさい」
 ひとみは遮る。誘いは嬉しいがすでに予定があると口にしてしまった以上、もう遅い。
 どうせならもっと早く言ってくれればいいのに。
 内心、松戸に舌打ちする。
「謝らなくてもいいよ」
 と、松戸。
「それじゃ、またお店で」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ」
 通話が切れた。
 ひとみはしばしスマホを見つめる。画面はまだ通話モードのままだ。松戸の名前と電話番号に向かってひとみはつぶやいた。
「もう少し食い下がってよ」
 そしたら食事くらい付き合ってあげたのに。
 頭の中でどうやって前言を撤回し、松戸の申し出を受けるかをイメージする。意味のないことだがひとみはこうした空想が好きだった。
 
 
 
< 1 / 6 >

この作品をシェア

pagetop