クリスマスなんて夢見ない
「先輩はクリスマスの予定ってあるんですか?」
会社近くの喫茶店「ボーパルバニー」で後輩の中野(なかの)が聞いてきた。
時刻は午後一時になろうとしている。
店内は大小様々なウサギのぬいぐるみたちが飾りつけてあった。キャラクターものもあればオリジナルのものもある。手入れがきちんと施されていて、どのウサギも目立った汚れはない。
店内には通りに面した形でテーブル席が五つ、厨房側に6人分のカウンター席が配置されている。ウサギたちは棚やテーブル、あるいは天井に吊され、または壁にかけられていた。
ひとみたちは真ん中のテーブル席に着いている。テーブル、カウンターともにほとんどの席が埋まっていた。男女比率は九対一で女性客が圧倒的に多い。店内にはジャズが流れてるはずなのにお喋りの声にかき消されてしまっている。
ひとみはオムライスとサラダのセット、中野はミックスサンドを注文し、すでに食べ終えていた。今はコーヒーカップが二つ。ひとみはブラックが好きだが、中野はミルクと砂糖がなければ飲めない。そのため、同じブレンドコーヒーでもカップの中身は異なる色になっていた。
中野がセミロングの黒髪を自分の手でなでた。癖っ毛のせいで毛先がはねている。
ひとみが答えずにいると、中野が繰り返した。
「クリスマスの予定ってないんですか」
「……地味に失礼な質問ね」
「そうですか?」
中野が悪びれるでもなく、薄茶色になるまでミルクを注いだコーヒーを一口飲んだ。
つり目のせいもあってか、少し生意気な印象のある後輩だ。顔は整っていて、可愛いかと問われればそうだと言えなくもない。
性格に難ありだが。
「私にだって予定はあるわよ」
「友だちとですか? それとも彼氏?」
「どっちでもいいでしょ」
「あーっ、彼氏ですね」
「あなたこそ予定はあるの?」
「うーん、村田(むらた)さんしだいですかね」
「しだいって……あなたたち付き合ってるの?」
中野が営業部の村田に猛アプローチをかけているのは知っていたが、交際が始まっていたとは初耳だ。
「やだなぁ、そんなわけないじゃないですか」
中野が笑った。
「まだ全然相手にされてませんよ」
「そうなの……ごめんなさいね」
「謝らないでください。私、まだあきらめてませんし」
「村田さんは手強そうだものね」
「手強いっていうか、そっけないんです。反則ものですよあれは」
「……あなたも苦労してるのね」
「私の場合、戦いですから」
「戦い、ね」
私はこの娘ほど攻められないなぁ。
そう思いつつ、コーヒーに口をつける。
ほどよい苦みと酸味を楽しみ、松戸のことを考えた。
彼はそっけなくないけど、あと一歩が足りないのよね。
「先輩の彼氏ってどんな人ですか」
中野がたずね、ひとみは小さく息をついた。
彼氏じゃないんだけどなぁ。
それに本当は予定もないし。
が、ここで嘘を白状するつもりはなかった。後輩にクリスマスの予定もない哀れな女だと思われたくない。
「いい人よ」
「えーっ、何ですかその情報。あっさりしすぎてよくわかんないですよ。もっと具体的に教えてください」
「具体的に、ねぇ」
松戸は彼氏ではない。
そもそもそんなものはいない。
いないものをどう説明しろと?
ひとみは数秒頭を巡らせ、またコーヒーをすする。
まあ、ここは松戸でいこう。
「色白で背の高い人よ。ゲームとか好きでね……」
「その人、まさかおたくですか」
「違うと思うけど」
「きちんと確認したほうがいいですよ。万が一、おたくだったらどうするんですか」
「どうするって?」
中野が指でテーブルを叩く。
「おたくは駄目ですよ」
「……村田さんっておたくじゃなかったっけ」
「違います。あれは単なるマニアですから」
「基準がわからないんだけど」
「少なくとも村田さんはおたくじゃないです」
村田さん、愛されてるなぁ。
つい、微笑ましくなる。
表情に出たのか、中野の目がさらにつり上がった。
「先輩、もしかして心の中でバカにしてませんか」
「してないわよ」
「声が笑ってるんですけど」
「いや、中野さんは本当に村田さんのことが好きなんだなぁって」
「やめてください」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「だから言ってるじゃないですか。私のは戦いなんです」
「それって恋でしょ?」
「誰があんなそっけない男に恋するっていうんですか。私はただ振り向かせるための戦いをしてるだけです」
譲らないなぁ。
とはいえ、こんなにムキになって言い返す中野は可愛く見えた。村田が彼女にどんな感情を抱いているかわからないけれど、もし自分が村田の立場なら早々に陥落していただろう。
彼女の攻めの姿勢には感服するしかない。
「そんなにしつこく迫って、村田さんに嫌われないかなって不安になったりしないの?」
「そりゃ、不安はありますよ」
中野が即答した。。
「だからといって恐がってたら何もできないじゃないですか。まごついてる間に村田さんを他の女に盗られたら、それこそ負けですからね」
「あ、うん、そうね」
やっぱりこの娘は強いなぁ。
ひとみは何だかうらやましくなった。不安があるとは言いつつもこの強さ。それは他ならぬ自信に裏打ちされたものなのだろう。
あるいは自分自身に嘘をついているのか。
自分ならうまくいく、と。
いつか必ず報われる、と。
相手に受け容れてもらえる日が来る、と。
ひとみは胸の奥でつぶやく。
私ももっと強くならないと……。
会社近くの喫茶店「ボーパルバニー」で後輩の中野(なかの)が聞いてきた。
時刻は午後一時になろうとしている。
店内は大小様々なウサギのぬいぐるみたちが飾りつけてあった。キャラクターものもあればオリジナルのものもある。手入れがきちんと施されていて、どのウサギも目立った汚れはない。
店内には通りに面した形でテーブル席が五つ、厨房側に6人分のカウンター席が配置されている。ウサギたちは棚やテーブル、あるいは天井に吊され、または壁にかけられていた。
ひとみたちは真ん中のテーブル席に着いている。テーブル、カウンターともにほとんどの席が埋まっていた。男女比率は九対一で女性客が圧倒的に多い。店内にはジャズが流れてるはずなのにお喋りの声にかき消されてしまっている。
ひとみはオムライスとサラダのセット、中野はミックスサンドを注文し、すでに食べ終えていた。今はコーヒーカップが二つ。ひとみはブラックが好きだが、中野はミルクと砂糖がなければ飲めない。そのため、同じブレンドコーヒーでもカップの中身は異なる色になっていた。
中野がセミロングの黒髪を自分の手でなでた。癖っ毛のせいで毛先がはねている。
ひとみが答えずにいると、中野が繰り返した。
「クリスマスの予定ってないんですか」
「……地味に失礼な質問ね」
「そうですか?」
中野が悪びれるでもなく、薄茶色になるまでミルクを注いだコーヒーを一口飲んだ。
つり目のせいもあってか、少し生意気な印象のある後輩だ。顔は整っていて、可愛いかと問われればそうだと言えなくもない。
性格に難ありだが。
「私にだって予定はあるわよ」
「友だちとですか? それとも彼氏?」
「どっちでもいいでしょ」
「あーっ、彼氏ですね」
「あなたこそ予定はあるの?」
「うーん、村田(むらた)さんしだいですかね」
「しだいって……あなたたち付き合ってるの?」
中野が営業部の村田に猛アプローチをかけているのは知っていたが、交際が始まっていたとは初耳だ。
「やだなぁ、そんなわけないじゃないですか」
中野が笑った。
「まだ全然相手にされてませんよ」
「そうなの……ごめんなさいね」
「謝らないでください。私、まだあきらめてませんし」
「村田さんは手強そうだものね」
「手強いっていうか、そっけないんです。反則ものですよあれは」
「……あなたも苦労してるのね」
「私の場合、戦いですから」
「戦い、ね」
私はこの娘ほど攻められないなぁ。
そう思いつつ、コーヒーに口をつける。
ほどよい苦みと酸味を楽しみ、松戸のことを考えた。
彼はそっけなくないけど、あと一歩が足りないのよね。
「先輩の彼氏ってどんな人ですか」
中野がたずね、ひとみは小さく息をついた。
彼氏じゃないんだけどなぁ。
それに本当は予定もないし。
が、ここで嘘を白状するつもりはなかった。後輩にクリスマスの予定もない哀れな女だと思われたくない。
「いい人よ」
「えーっ、何ですかその情報。あっさりしすぎてよくわかんないですよ。もっと具体的に教えてください」
「具体的に、ねぇ」
松戸は彼氏ではない。
そもそもそんなものはいない。
いないものをどう説明しろと?
ひとみは数秒頭を巡らせ、またコーヒーをすする。
まあ、ここは松戸でいこう。
「色白で背の高い人よ。ゲームとか好きでね……」
「その人、まさかおたくですか」
「違うと思うけど」
「きちんと確認したほうがいいですよ。万が一、おたくだったらどうするんですか」
「どうするって?」
中野が指でテーブルを叩く。
「おたくは駄目ですよ」
「……村田さんっておたくじゃなかったっけ」
「違います。あれは単なるマニアですから」
「基準がわからないんだけど」
「少なくとも村田さんはおたくじゃないです」
村田さん、愛されてるなぁ。
つい、微笑ましくなる。
表情に出たのか、中野の目がさらにつり上がった。
「先輩、もしかして心の中でバカにしてませんか」
「してないわよ」
「声が笑ってるんですけど」
「いや、中野さんは本当に村田さんのことが好きなんだなぁって」
「やめてください」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「だから言ってるじゃないですか。私のは戦いなんです」
「それって恋でしょ?」
「誰があんなそっけない男に恋するっていうんですか。私はただ振り向かせるための戦いをしてるだけです」
譲らないなぁ。
とはいえ、こんなにムキになって言い返す中野は可愛く見えた。村田が彼女にどんな感情を抱いているかわからないけれど、もし自分が村田の立場なら早々に陥落していただろう。
彼女の攻めの姿勢には感服するしかない。
「そんなにしつこく迫って、村田さんに嫌われないかなって不安になったりしないの?」
「そりゃ、不安はありますよ」
中野が即答した。。
「だからといって恐がってたら何もできないじゃないですか。まごついてる間に村田さんを他の女に盗られたら、それこそ負けですからね」
「あ、うん、そうね」
やっぱりこの娘は強いなぁ。
ひとみは何だかうらやましくなった。不安があるとは言いつつもこの強さ。それは他ならぬ自信に裏打ちされたものなのだろう。
あるいは自分自身に嘘をついているのか。
自分ならうまくいく、と。
いつか必ず報われる、と。
相手に受け容れてもらえる日が来る、と。
ひとみは胸の奥でつぶやく。
私ももっと強くならないと……。