幼な妻だって一生懸命なんです!
「…」

「…」

腰を下ろしてから黙ったままの長瀬さんは、膝を大きく広げ、前かがみになった。
そのまま、まっすぐの視線はどこへ向かっているのだろうとその先を追う。
何もない…
ただ人が行き交っているだけだ。

話をさっさと進めてくださいよ。
私の休憩時間も限られていますから。

「あの、」
「なぁ」

同時に声を発してしまった。

「どうぞ」
「いや、そっちから」

もう、この人、遠くで見ている時の印象と全然違うんですけど。
何だか煮え切らない。
休憩の時間切れになる前に何とかしなければ、午前中のモヤモヤ以上に仕事がやりづらい。

「プロポーズ、あれ、冗談ですよね」

「いや、信じてもらえないと思うけど本気だから」

信じられるわけない。
長瀬さんとの接点は嫁に行くほど繋がっていない。
そもそも付き合ってもいないんだから。

「理由、理由を教えてください。なぜ急にあんなことを?」

「今年中に結婚したいんだ」

「はい?」

聞き取れなかったと思ったのかもう一度、同じ言葉を繰り返した。

「今年中に結婚をしたい」

私の顔なんて一切見ず、前をじっと見ながら言っている。
そんな様子からして、やっぱり真剣な話として捉える事ができない。

「それは長瀬さんの事情で、私には関係ない話だと思います」

長瀬さんは「はぁ」とため息をついた。

「と、とにかく、俺と結婚してくれ」

噛みながら、さっきと同じことを繰り返しているだけだ。
でも、ここに大きな疑問がある。
なぜ私なのか?

「結婚してくれの一点張りでは納得がいきません。そもそも私のことを知らないし、好きでも愛してもいないくせに…他を当たってください」

間違ったことを言っていないのに、どう言うわけか悲しくなってきた。
愛もない二人が今年中に結婚?
悲しみと憤りに近い感情が込み上げ、唇を嚙む私を長瀬さんがじっとみつめてくる。
目をそらさずに自分の意思が固いことを示した。

「そんなに強く唇を嚙むな」

長瀬さんは困ったように顔を歪ませてじっと私の唇を見る。
それでも力を緩めない私の頬に手を添え、親指で唇をそっとなぞった。

「噛むなよ、傷つくだろ」

不意に触れた冷たい指に驚いて、慌てて力を抜くと冷たい指は離れていった。
男の人に唇に指を添えられたことなんて一度もない。
心拍数が上がり、顔は熱を帯びてくるのがわかる。

私の顔を見た長瀬さんも、ハッと息を飲み、みるみるうちに顔を赤らめた。
唇に触れた指は無意識だったようだ。
不自然な形のまま宙に浮かせた手を、どうしていいかわからないといった感じだ。

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