夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~
 自分の言った言葉が間違っていないと、本当にこの人は遠い世界の人間ではないと、確かめたかったのかもしれなかった。
 春臣さんはなんとも言えない顔をして、私の手を掴む。

「もう触っていると思うんだが、お前の中でこれは範疇に入らないのか」

 引っ張られた手が一瞬さまよってから、春臣さんの頬に触れる。

「……これでいいのか?」

 戸惑っている様子が意外で笑ってしまう。

「すみません。嫌だったら嫌って言っていいですからね」
「そこまでは言わないが……」
「なんですか?」

 言うべきかやめておくべきか――。
 そんな悩みを顔に浮かべた後、春臣さんは困ったように微笑する。

「他人に触られるのは得意じゃない」
「苦手なら分かりますけど、得意な人っているんでしょうか」
「……確かに」

 言葉の選択を間違えた、と顔に書いてある。
 言いたいことはなんとなく分かった。
 だったら、と手を引こうとして、考え直す。

「そう思うのに触らせてくれるんですね」
「妻を拒むのはおかしいだろう」
「それはそうですけど、妻が相手でも嫌なものは嫌でいいと思います」
「だから別に嫌じゃない」
「苦手なのに……?」

 そもそも抱き合うのはいいのだろうか、などと考えれば考えるほど混乱する。
 私という存在を受け入れようと努力しているのは伝わってきた。
 そういうことなら、と、改めて春臣さんを抱き締めてみる。

「私も慣れるので、春臣さんも慣れてください」
「ああ」

 きっと、ぬいぐるみを抱き締めているのと変わらない。
 落ち着くけど落ち着かない奇妙な時間の中、私たちは緊張と安心を共有する。
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