夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~
「どうして逃げるんですか?」
「いや、いきなり動くから何をされるのかと」
「夫婦らしいことをしろって言ったのは春臣さんです」

 文句を言ってから軽く身体を起こし、逃げた春臣さんに近付く。
 その瞳には戸惑いが浮かんでいた。

(自分で言ったのに)

 もっと困らせてみたい、そんな顔を見たいと強く願う自分がいた。
 私よりもずっと背の高い春臣さんを見上げた後、その顔から目を逸らさずに今度こそ抱き締める。
 望んだ変化は表情ではなく、身体の反応で伝わってきた。
 春臣さんはびくりと緊張したように身体を強張らせると、ややぎこちなく私を抱き締め返してくる。

(自分から触る時は平気な顔をしてるのに、どうして私から触るとびっくりするんだろう?)

 ただ抱き締め合うだけというのも落ち着かず、適当に話を振ってみる。

「聞きたいことがあったのを思い出しました」
「何だ?」
「玉子焼き、好きなんですか?」
「いや、別に」

(あれ、違うんだ)

 いつも最初に食べるから、てっきりそうなのだと思っていた。
 予想とはずれた返答のせいで少し残念に感じてしまう。
 けれど――。

「玉子焼き自体は別に嫌いでも好きでもない。お前が作ったのは美味いと思う」
「……本当ですか?」

 抑えようとしたけれど、嬉しい気持ちが声に滲んでしまう。

「ご飯の時、最初に食べてくれるから気に入ってくれているのかなって思ってたんです」
「煮物もいいな。あの、里芋の」
「母に教えてもらったレシピなんです。お店でも人気なんですよ」
「味噌汁も初めて美味いと思った」
「具は何が好きですか? 明日はそれで作りますね」
「……考えておく」
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