夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~
 あの瞬間に自分が何を思っていたのか、まだはっきり覚えている。

「怖そうな人が来たなーって思ったんですよね」
「……悪かったな、怖くて」
「でも……助けてくれた」

 噛み締めるように、思い出しながら言う。

「……嬉しかったです」
「…………」
「結婚の話だって、この人は何を言ってるんだろうって思いましたけど……春臣さんだったら大丈夫かなって思いました」
「…………」
「……初夜はびっくりしました」
「悪い」
「いいです。……いいんです」

 夫婦としてあるべき状態に近付けようと私が踏み込んだから、この人は律儀に自分の思う夫婦らしいことをしようとしたのだろう。
 あの夜からずっと、手を繋いで眠ってくれている。
 それ以上の触れ合いもなく、夫婦でありながら私たちの関係は清いまま。

「優しいですよね」
「そうか?」
「進さんが誤解されやすいって言った意味、今なら分かるんです。……でも誤解されたままだったらいいなって」

 自分でも気付いていなかった本音がこぼれ出てしまった。

「すみません、何でもないです」

 私はこれからもいろんな人が春臣さんを誤解して避ければいいと思ってしまっている。
 そうすれば、穏やかに笑う所も、優しく触れてくる所も、誰も知らずに済む。
 ――私だけの秘密にできる。その特別な一瞬を。

「……俺は」

 肩の重みが離れる。
 代わりに、春臣さんは私の頭を引き寄せた。
 今度は私が寄りかかる形になる。

「あんまり他人と話すのが得意じゃない」
「……そうかなとは思ってました。そういう担当は進さんですよね」
「そうだな」

(でも今、私に何か話そうとしてくれてる)
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