夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~
 ――あの日から、ずっと家の中が寒い。

(……奈子)

 先日までここにいた『妻』の名前を心の中で呼んでみる。
 もっと何度も呼んでみたかったのに、肝心の本人はどこにもいない。
 無意識に足が向いたのは食器棚だった。
 そこにはついに使われることのなかった一対のマグカップがある。

 ――デザインの流出について、事態は既に終息し始めていた。
 海理の気付きが早かったのが大きい。
 奈子の言っていた通り総務課に確認を取ると、しばらく休職し続けている社員がいることが分かった。そこに当たりを付けて調べていけば、後は芋づる式に事が進んだ。
 奈子が関係していたわけではなかったことも当然分かっていた。
 きちんと証拠が出た後に海理から謝罪はあったけれど、どこまで自分の中で許せているのか分からない。
 彼女はもう戻ってこないのだから。

(この後のフォローを考えるために早く上がったのに)

 社長として、新規事業を進めるにあたってどうするかを考えなければならない。別のデザインを急いで考案する必要があるし、それ以外にもまだやるべきことが残っている。
 それなのに、気付けばここにいたはずの『妻』のことを考えている。

(……知らなかった)

 新品のマグカップを手に、項垂れる。

(こんなに寂しいと思わなかった)

 『妻』を意識し始めたのはいつからだったのか――。
< 79 / 169 >

この作品をシェア

pagetop