夫婦はじめ~契約結婚ですが、冷徹社長に溺愛されました~
 祖父の嫌がらせにも等しい援助の条件に対し、なんて都合のいい人間なのだろうと思った。
 両親のために自分を犠牲にするなんてどうかしていると思った。
 そんな始まりでも夫婦でいようとするのが不思議だった。
 距離を詰められる経験がなかったせいで、深入りされそうになった時にどう反応すればいいか分からなかった。
 そんな彼女にこちらから踏み込んだらどうなるのか気になった。
 自分の意識の中に、初めて他人の存在が入ってくるのを感じた。
 知りたいと言われて、同じ気持ちを抱いていることに気付いた。

 ――かわいい人だ、と思った。

「男の人が苦手なんです、私」

 そう言った時の奈子の顔をまだ覚えている。
 言うつもりはなかったのだろう。自分で言ったくせに、自分で驚いていた。

「春臣さんは平気なんですよね」

 不思議そうに言われた時、どうしていつも奈子を目の届く所に置きたかったのか、やっと理解した。
 いや、ずっと分かっていたという方が正しい。
 彼女には告げなかっただけで。

「別れる時にあのカップだけいただいてもいいですか?」

 あの時、どうして別れたくないと言えなかったのか。
 最初に過ごしたあの夜からずっと、このまま手を繋いで眠れたらいいと思っていたのに――。

「……奈子」

 声に出して名前を呼んでみる。
 返事は、ない。
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