夜を迎え撃て
「加地さん、気管チューブ。交換しましょうねー」
ワゴンを持って大部屋にやってきた看護師に、新聞を見ていた老人が頷く。ベッドに横たわった老人の喉に入った気管チューブからなんとも言えない吸引する音がして、「痰いっぱい出ましたねー」なんてやりとりを横目に見てから、丸椅子の上で猫背だった姿勢を正した。
「あ、そうだ。俺さぁ、昨日ここに入院になったばっかでこの病院のこと、ちょっとよくわかんねーんだよね。
でもナースステーションの横で聞いたんだ、じいさま“長《おさ》”って知ってる?」
「小児病棟の娘のことか」
「娘?」
丸椅子を掴み、前のめりになる。
「詳しく」
「小児病棟にいるとは言っても童ではない。ただ奴は幼少期からこの病院に罹っていて、今までに多くの童らの入退院を見届けてきた。慣れない児童らを迎え入れ送り出し、時にそれが叶わない者のことも誰よりも。
そんじょそこらの看護婦よりもこの病院のことを知っている、だから称されることになる。そのうち誰からともなく「長」と」
「へぇ。んで今も児童を構えるヌシ様ってわけね。年は?」
「小僧とそう変わらんだろう、本人に訊いてみるといい。別嬪だぞ」
「そういうの待ってた」
せっかくの入院生活、浮いた話の一つも無いんじゃ退院後ヒデとよっちゃんにも顔向け出来まい。そうと決まればと起立して松葉杖を走らせる俺に、横を通りすがりざま看護師さんから「きみ、松葉杖で走らない!」と怒られた。
☾
小児病棟は、一般病棟の反対にある、二階に位置するんだそうだ。
廊下に貼り付けられた病棟の地図を頼りに松葉杖を走らせること十分ほど。わざわざ興味本位で、美人だから見たいって下心だけを動力源に松葉杖でてけてけと歩いてきた。
そのうち掲示板に保育園や、幼稚園なんかによくある折り紙で作られたチューリップやカエル? と思しきものが貼り付けられていて、「手洗いうがい」「インフルエンザ対策」などといった注意書きに目を走らせる。