夜を迎え撃て
「……だーめだ活字見てると五分で眠くなるな」
「音読しましょうか」
「え、あー助かります。でもこれ自分の勉強なん、でっ!?」
肩口から覗き込んできた人物にビビってまたも大袈裟に飛び退く。両手で本を持つため松葉杖を置き、横着こいて片足を上げていたのでバランスを崩したが、幸いにも真横が壁だったので半身をぶつけるだけにとどまった。
目元にかかるざんばらの前髪に左目下の泣きぼくろ。背中まで伸びた黒髪を翻し、ミオは目を細めた。
「拓真から聞いた、恭平が探してたって。なんか用事?」
「いや、用事ってほどのもんでは…」
単に昨夜のこともあっていっぺん顔合わしたかったとか、若干気まずかったとか。あれこれ考えてしどろもどろしていると、ぱっと医学書をかすめ取られる。
「あっ」
返せよ、と奪い返そうにも間合いを置かれて手が届かない。クソ、とあっけなく空を裂いた手を引っ込めると、本に視線を落としていたミオの目がふと、視線を上げて俺を見た。
「へえ。口先だけの英雄もちょっとは手助けする気になったわけだ」
「う! るっせー悪かったな口先だけで! どーせ俺は」
「見捨てられるかと思ってた」
「…えっ?」
「ドン引きしてたし、今朝方」
ああ、やっぱバレてたんだな。
隠したつもりもなかったから、当然の報いだった。また口を半開きにして何も言葉に出来ない俺に、ミオは笑って頰を掻く。
「バケモノみたいだっただろ。影でみんな言ってるし無理もないと思う。あそこまでのケースって結構まれだから。お前にやっぱお手上げって言われんのが嫌で、だから平気なふりしてた。でももう隠したりとか、その必要もなくなりそう」
「…どういう意味」
「多分あたし、隔離病棟に移される」
くら、と一瞬視界の端を火花が散った。それが眩暈だ、と気付いたのはミオの目が俺を射ってからで、松葉杖を握る手にぎゅ、と力がこもる。
「そんな顔すんなよ、いいところだよ。色んな人間がいる。ちゃんと担当のカウンセラーがずっと見ていてくれてるし、そしたら集中して不眠や夜驚症のケアにも取り組んでくれるんだってさ」
「けど二度と戻ってこれないんだろ」
「…病気が治ったら戻れるよ」
「そんな確証あんのかよ」
矢継ぎ早に畳み掛けたら歯向かうようにきっ、とミオの猫目に睨まれた。それでもすぐにたじろいだのは、それ以上に俺がミオを真っ直ぐに見据えていたからだ。
「ずっと見ていてくれるって、それ裏を返せば24時間監視されてるってことなんじゃねーの。色んな人間がいるって、言葉悪いけど精神疾患とかの類いじゃねーのかよ。ここの小児病棟とは違う。お前がここでどれくらいの時間を過ごしてきたかを俺は知らない。でもバカでもわかるよ、あいつら見てたら。お前がどんな存在で、何物にも変えられない人間だってことくらい。
お前は病気を理由にあいつらのこと見捨てんのか。あいつらやこの病院の人間のためを思って言ってんなら絶対違う、それにあっちに行ったからって、お前の病気が良くなるとは俺は到底思えない」