夜を迎え撃て
「恭平、まって」
気がついたら、夢中で足のことも忘れてどんどん先を行っていたみたいだ。少し離れた距離で段差を降りるのに苦戦しているミオを下から見上げると思わず笑ってしまう。
そんなところばかりはしっかり見ているようで、彼女が露骨にムッとしたのがわかった。やべ、と心ばかり手を差し伸べる。
「はいどうぞ」
「…いらない」
「…あっそ。でも足元ぬかるんでんぞ、気をつけて降りろよ」
「こんくらいよゆ、ふあっ!?」
文字通り足を踏み外してすってんころりんと尻餅をついたミオに半目でぽりぽりと首の付け根を掻く。お約束というか。期待裏切りませんよね、ほんと。
「だから言ったのに…ほら」
「… 」
しぶしぶ口を尖らせて差し出すミオの手を、ぐい、と力強く引っ張る。こっちも片足で踏ん張りが効かない分強めに引いたのに、ミオの体が想像以上に軽くて一度自分に抱き寄せる形になった。
驚いて目を丸くする彼女の顔を見てから、少し離れて、顔に撒き散らかった髪を手で軽くよけてやる。それから、思った。
「…恭平?」
「お前の髪って、夜みたい」
紺色で、深い。向こう岸の見えない川のようで、でも月明かりを浴びれば星のように煌めく。軽く指で梳いてやれば艶が天の河みたく流れて、払う寸前、弾けて消えた。
そこではた、と我に返る。
例によって、ミオの顔が。首から顔、耳に至るまで真っ赤に染まっていたからだ。
「…、お前また…」
「っ、るさい! てかふつうっ、女の髪、気安く触んないだろ、どういう神経してんだ」
「あー、妹いるからかなぁ。昔はあいつの髪、俺が結んでやったりしてたし」
「妹?」
「そうそう。4つ下の超お転婆娘、生意気で口達者」
毎日顔を合わせていれば口煩いし鬱陶しいだけだと思うが、いざ自分が入院してこういう身になってみると、家族の大切さというか、その存在の有り難みに改めて気がつくものだ。
今でこそ中二になって前ほど手もかからなくなったし、寧ろこっちが助けられる場面も増えた。けど幼い頃は口を開けば母親の名前を呼んでたし、それがなくなってからは俺を呼ぶことしか出来なくなった。
ルナやセナにもそんな、昔の円を重ね合わせていたのかもしれない。はねた寝癖の撫でつけ方を教えたらどう反応するかな、なんて思いつつ、絶好のスタイリング練習台に腕が疼くものもある。
「なんなら結ってやろーか」
「は、?」
「このスタイリストHISANOの手にかかれば女の毛の一本や二本自由自在」
「手術前の医者の構えやめろ」