夜を迎え撃て
 

「誰かがそう言ったのか?」

「さっき、かんごしのおねーさんたちがろうかでしゃべってたの」

「ふーん」

「ねぇ、おとうさんとおかあさんが【りこん】したら名前、変わっちゃうの? まどかはまどかじゃなくなっちゃうの?」

「下の名前は変わんねーよ。俺は恭平だし、円は円だ。変わんのはここ」

 もたれたベッドの背中、枕をよけ、ネームプレートの苗字を指の節でとん、と小突いてやる。それを見ると円は目を丸くして、すぐほっとしたように胸を撫で下ろした。

「なーんだ、よかったぁ。…でも、今の名前の方がまどか、よかったなぁ…」

「別に、取り戻せばいーだろ。女は大概結婚したら苗字変わんだから。そんなに好きなら前の苗字と同じ男と結婚すれば」

「えー? それっていつー?」

「最短十一年後。そんなことより円、お前母さんのとこ行かなくていいのかよ」

「あっ! おかあさんにおつかい頼まれてるの忘れてたっ! じゃあねおにいちゃん、なんかあったらまどか、おかあさんの病室にいるからすぐ呼んでね!」

「ヘーイ。あ、そだフルーツバスケット今度持ってくる時はバナナにして。りんごやだ」

「はーい」

「あと今度来るときは購買でジャンプ買ってきて」

「もーっ!」

 もう一度ゲーム機に目を落としながらひらひら手を振ると、円はどたどたと足音を立てて病室を出て行った。それを見送って、ゲーム機を棚の上に置いてから、枕をどけて。

 ネームプレートの苗字を、指の腹で撫でてみる。


 ☾


 母さんが病気で入院することになったのは、去年の夏の話だ。

 検査が長くなるからって、妹とは別に俺は初めて行く母さんの田舎の爺ちゃん家に預けられた。

 母さんは元々心臓が弱くて、これまでにも何度か定期的に病院に通うことがあったから、今回もそれと同じなんだと思ってた。

 でも結局夏休みが終わっても母さんは帰って来なくって、今じゃほとんど家には帰ってない。

 最近、父さんと母さんは喧嘩ばっかしてる。




 この前病室を覗いたとき、見舞いに来た父さんに母さんが何か物を投げていた。それからたぶん、泣いていた。それが結構ショックだった。

 だからはじめて妹に訊かれたときは適当に誤魔化した。

 妹は離婚の意味をわかってない。わからなくていいと思うし、わかってほしくなんかない。


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