僕に言葉を、君には歌を
彼女のことを好きになったのかと聞かれたら、それはNOだ。

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「好きです」

だから、彼女が僕を好きになったのは意外過ぎた。

「えっ、僕?」

彼女は耳まで真っ赤になった顔で頷いた。
俯いていた目がゆっくりとこっちを窺うように開かれる。

その仕草が可愛いな、と思った。
好きになれたらいいな、と思った。
だから、付き合うことにした。

淡い、高校時代の思い出。

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なんで別れたんだっけ、と思いつつすぐに思い出せる。

僕は、大学最後のコンクールでミスをした。
些細な音程ミスだった。でも、些細なミスは大きな綻びにつながる。

自分を責めて追い詰められていく僕に、彼女は言った。

「残念だったね……。でも、銀賞とれるなんてすごいよ」

「銀賞なんて意味ないんだよ!金賞をとれるはずだったんだ!」

そう怒鳴った僕に、彼女はごめんと謝ったけど何か言いたげな顔をしていた。
だから、苛立って彼女の顔も見ずに言ったんだ。

「分からないなら、別れよう」

彼女は頷いて、僕から離れていった。
そのまま彼女と会うことはなかった。

そもそも、大学まで付き合ったこと自体惰性だと思っていた。

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僕は声楽家を目指して、一心不乱に努力した。
そして、この春、やっとその夢を叶える。

劇団の小さな広報誌のインタビューを受けることになった。

「ここまで自分を支えてくれた言葉はありますか」

そう聞かれた瞬間、急に鮮明に聴こえてきた。

『君の歌は、みんなを惹き付ける』

ああ、そうか。
いつだって僕は、彼女の言葉を支えにしていた。

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それでも、僕は彼女を好きだと思ったことはなかったと思う。

非道だ無慈悲だと言われても、僕は彼女を思い出す時、愛した女性としてではなく、僕自身を支える概念のような存在として思い出す。

きっと、僕は誰かを愛することができない人間だと思う程に、彼女がいなくても彼女の言葉だけで生きていけると思った。
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