キミに伝えたい愛がある。
その晩。


祖母がお風呂に入り、眠ったのを確認してから、私は自室に戻った。


布団を敷き、そこに横になったものの、なかなか寝付けず、母との記憶を辿った。


私は母を恨みたくないって思った。


思い起こせば母は、私が幼い時からずっと働きっぱなしで、遊ぶことが無かった。


母と私が一緒に居られたのは、母が独身時代に貯めていたお金が底をつくまでのほんの数年だった。


私が1歳になると同時に夜中に働くようになり、私を保育園に預けると昼夜問わず働いた。


保育園の送り迎えは毎日祖母で、祖母が体調を崩した時はめぐちゃんのお家に泊まらせてもらったり、りっくんのお家でおやつや夕飯をご馳走になったりしていた。


小学生になると、給食が始まり、母は私が給食費を払えないということがないように益々精を出して働くようになった。


授業参観に来てくれたのは1、2年の時に1回ずつで、運動会は奇数学年の時だけだった。


母の日参観でお母さんに手紙を書くというのがあったけれど、いつも来るのは祖母だから祖母に書いていた。


周りの子達からは「お母さんに捨てられた可哀想な子」と言われていたけれど全くそんなことはなかった。


私がいじめられていると必ずめぐちゃんやりっくんが助けに来てくれた。


そのお陰で私は学校に行けていたし、2人といられるから楽しかった。


お母さんとの間に生まれた穴に誰かがうまく入り込んでそれを埋めてくれたから私はあまり寂しい思いをせずに生きてこられたのかもしれない。


中学校の入学式に母はなんとか来て、その日の夕飯に祖母特製のちらし寿司を食べた記憶がある。


それが最新の母との思い出かもしれない。


中学校で美術部だった私の展示を母は1度も見に来ることは無かったし、高校生になり、吹奏楽をやっていても演奏を聴きに来たことはない。


そんな母だけど、色々なことを犠牲にして私を育てて来てくれたことは確か。


母にやっと春が訪れたなら、それは喜ばしいことだ。


母の行動は一見自己中心的なようにも見えるけど、私達がお金に困らないような相手を選んでいる。


そういう優しさを私は大切にしたい。


母に会えなくなるのは辛い。


寂しい。


何で今なのって思ったりもする。


だけど、私は泣かないよ。


祖母に笑ってほしいから、泣かない。



私が寝付けたのはそれから数時間経った午前2時頃だった。


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