Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?
それ以上は聞けなかった。聞けなかったというよりは聞きたくなかった。主寝室からリビングに移動して、ゆっくりとソファに座っている匠くんを見る。この薔薇のように美しい唇が、私以外の女の名を呼ぶことさえ許せない。そう思ったとき、私はなんと醜く幼稚なんだろうと唇を噛み締める。
「どうしたの?」
隣に座っていた匠くんが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「なんでもないよ」
「そっか。・・・亜子ちゃん、おいで?」
大きめの白のTシャツにラフなズボンに着替えた匠くんが、大きく手を広げて微笑む。飛び込んでもいいのだろうか。この穢れを知らない胸に私が触れた瞬間、ここが真っ黒に染まってしまったらどうしよう。
「亜子ちゃん、来て?」
動けずにいた私の手首を引いてくれた手を見つめると、そこに他の女の影がチラついてしまう。この手で他の女を抱き締めたんだと思うと、込み上げる嫉妬に吐き気さえする。匠くんが汚いとか、そんな感情じゃない。ただただ、羨ましくて堪らない。どうしようもなく好きだった人が、どうしようもなく深く愛されていたのに匠くんを捨てた相手が。
頭の中で渦巻くドス黒い感情に、身体が全部支配されてしまいそうだった。それを全て包み込むように、匠くんに抱き締められる。私の気持ちが筒抜けになってしまっているのか、抱き寄せてくれている腕は安心させてくれるように力強い。太ももに添えられた匠くんの手に導かれるまま、匠くんの膝に乗り上げた。視点の高さがいつもと逆転して、見上げてくる匠くんの瞳は黒く私の表情を映している。
「好きだよ」
一緒に過ごしてから幾度と聞いてきた告白に、何度聞いたって心が躍る。それでも直ぐに冷静な自分が顔を出して、「一番好きなのは私じゃないけどね」と囁く。なんならLOVEなのかでさえ危ういのに、答えを聞くことを恐れて口を開けずにいる。私、こんなに憶病だったかな。
(ピンポーン)
チャイムが鳴って我に返ると、匠くんの膝の上に乗ってしまっている自分が急に恥ずかしくなってくる。
「あ、私・・・出てく「いい。このままでいよ?」
くりくりの目が「お願い」と見つめてきて、沸き上がる唾液をごくりと飲み込む。思わず熱い吐息を吐いてしまうところで、テーブルに乗っていた匠くんの携帯が鳴りだす。
「「・・・」」
見つめ合ったまま、このまま溶けて一緒になってしまいたかった。それを邪魔するように、鳴りやまない携帯は揺れながらテーブルから落ちた。
「___ごめん。出るよ」
「うん」
先に視線を外したのは匠くんで、寂しい気持ちを隠しつつ膝を降りてソファに座り直した。子どもみたいに膝を抱えて、視線だけで匠くんの品のある動きを追う。
「直ぐに出られなくてごめん。どうしたの? ・・・え? 今? ちょっと(ピンポーン)___あーもう、わかったよ。ちょっと待っててね」
髪をくしゃくしゃと掻いてから匠くんがこちらを向いた。その表情の意味は・・・。
「亜子ちゃん、ごめん。突然なんだけど、人が来ちゃって」
「あ・・・そうなんだ」
「・・・」
「私、化粧も殆ど落ちちゃったし人に会える顔じゃないや。部屋に戻っているね」
「___わかった」
匠くんをリビングに残したまま、早足で自室に戻る。込み上げる涙が鼻の奥の方をジンとさせて、どんどん視界が霞んでいく。
後ろ手にドアを閉めた。頑張ったと思う。匠くんの気まずそうな顔に、大人としてちゃんと察したつもり。きっと、私は紹介出来る女じゃない。悔しくて堪らないのに、匠くんの隣に並んで歩く自分が想像出来なくて。