Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?



 声を上げて泣いた。家では声を殺して泣いていたから、もうタガが外れてしまって。行き交う人たちが驚いた顔をしながら通り過ぎていくのに、男性は立ち去りもせずに私が泣き止むまで隣にいてくれた。

「送ります」

「___ぐっ、ずずっ」

 しゃっくりが止まらなくて、直ぐに返事が出来ずに男性を見上げた。目の前に立った男性は、にこやかに手を差し出してくれている。それにいつもの癖ですんなりと手を乗せてしまった。私の身体には匠くんのエスコートが染みついてしまっている。
 ぐずぐずと鼻を啜っているうちに、静かに車が停まった。黒の高級車。匠くんの車よりは細長い。

「どうぞ。ちゃんと家まで送り届けます。怪しい者ではありません。身分証を見せます」

 男性に促され車の後部座席に座った。男性は私の隣に座って、運転免許証を差し出している。それを受け取りながら運転席を見ると、そこには運転手が背筋を伸ばして座っている背中が見えた。

「___え? おおたに、まこと?」

 免許証には”大谷真”と記載されていた。今の私は”大谷”に敏感。

「ええ。そうです」

「大谷グループとは関係ないですよね?」

「・・・」

「え?」

「あります。私は大谷グループの会長をしておりますから」

「・・・」

 改めて男性を見る。綺麗な二重の横には深く笑い皺が刻まれていて、優しい雰囲気の向こう側に凛とした強さを感じる。この人が・・・

「匠くんのお父さん・・・」

 大谷会長は私の言葉に驚いた顔をしてから、口を横にきゅっと閉じた。

「亜子さんですか?」

 そう言ったのは大谷会長ではなく運転手。バックミラーで運転席を覗くと、そこに座っていたのは天野さんだった。

「天野さん・・・」

「失礼しました。先日の様子とは違いましたので気付きませんでした」

「い、いえ。大丈夫です」

 そう言いながら口を閉じている大谷会長をちらりと見る。ここでまさかお義父さんに会う事になるとは。それにさっきの話・・・

「先程の話は匠の事ですか?」

「・・・」

 あそこまで言ってしまっていたら、今更しらを切ることは出来そうも無い。

「はい」

「はあ。・・・天野。私の息子たちは、本当に仕事以外はだめで仕様が無いな」

「そうですね。旦那様」

「出してくれ」

「承知致しました」

 すぅーっと静かな音を立てて車が滑らかに動き出したが、私の頭は大渋滞だった。
 やばいよ。お義父さんに言っちゃった。しかも匠くんの片想いのことまで。ああ、どうしよう。

「では・・・、亜子さん、で大丈夫ですか」

「あ、はっ、はい。大丈夫です」

「始めに確認しておきたい。亜子さんは匠と出会ったことを後悔しているかい?」

「そんなことないです。ありえないです。私は匠くんに感謝しています。心の底から」

「ふっ、そうか、そうか。よかった」

 私の答えを聞いて、大谷会長は嬉しそうに笑った。それは会長としてではなく、たぶん父親として。

「亜子さんたちは結婚していると言っていたね?」

「はい。おと・・・、会長もご存知ですよね? サインも貰ったと言っていましたし」

「いいえ。初めて知りました」

「え・・・?」

「亜子さん。純粋さに付け込まれましたね」

「えと、どういう?」



「貴女たちは婚姻関係にありませんよ」



 頭が真っ白になった。ショックだった。それは騙されていた事ではなく、私と匠くんを繋ぎ止めるものが無くなってしまったことに。

「貴女は自由です。どうしますか?」

「どう? ですか?」

「ええ。それでも匠の元に帰りますか?」

 
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