Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?



 まさかこんなところまで来るとは思わなかった。

「亜子ちゃん。仕事だよ」

「・・・」

 仕事終わりなのか、紺のスーツを着こなしたアイドルが目の前にいる。店内のお客様は男女問わず、私と目の前の男に好奇の視線を向けている。

「て、店長・・・」

「おう。行ってこい」

 にこにこと屈託のない笑顔で私を見ているこの男は、私を追い詰めることが本当に得意。アイドルもとい大谷匠は、嬉しそうに私の手を掴んで放そうとしない。

「お仕事ならなんでもするんだよね?」

「___そんなこと言ってない」

「言った。昨日、言った。大人は自分の言葉に責任を持たなきゃだめだよ」

「・・・」

「ほら。子どもたちが見ているよ」

 まるで仕込まれたエキストラのように、男女の子どもが手を繋いで私たちの掛け合いを見ている。「ははは」と苦い笑顔で手を振ってみても、真顔でこちらを見ているだけで全く可愛げが無い。

「さ、行こう。クルーズデートだよ」

「そ、そそ、そんなの仕事じゃ「行ってこい」__てんちょおぉ」

 後ろで親指を立てている店長が憎らしい。この会社は私のことをなんだと思っているんだ。くそぅ。
 いくら足掻いたって無駄な事はわかっていた。匠くんは強引な男だから。鞄を取りに行ってから匠くんに続いて店を出れば、パチパチと謎の拍手でお客様とスタッフに見送られた。隣でスキップでも始めそうなくらい軽快な足取りで進む匠くんを見て、頬が綻ぶのを抑えるのに必死だった。



「う、わああぁ」

「はい、どうぞ」

 船着き場からクルーズ船へと架けられた橋の階段を、匠くんにエスコートされながら登る。本来ならば「結構です」と跳ねのけるべきだった手を、驚きとわくわくで思わず前のめりに掴んでしまっていた。開いた口が塞がらない私を見て、匠くんはくすくすと笑っているがどうだっていい。庶民には経験出来ない、シンデレラ体験真っ最中なのだから。

「タイタニックみたい」

「そうだね。じゃあ、僕がデカプリオかな?」

「___沈まない、よね?」

「もちろん。亜子ちゃんを危険な目にあわせるわけないよ」

「・・・」

 いつだって隙あらば甘い文句を吐いて来るから、私は不意を突かれて目を泳がせてしまう。私はきっと匠くんの手の平の上で転がされているだけなんだろう。ホテルと変わらないくらい煌びやかな船内は、揺れも感じず快適そのもの。見て回る私の後ろを、匠くんは保護者のように付いてきてくれている。

「う、あ・・・」

「綺麗だね」

「うん」

 地平線の見えるデッキに出れば、海なし県育ちの私は心が躍る。深いブルーの海はところどころ緑にも見える不思議。外に出ればやっぱり舟は揺れていて、少しよろめきながら手摺りに辿り着いた。私の手摺りを握った両手の両外側に匠くんの手が置かれて、私の肩口から匠くんの横顔が覗く。背中は寒いはずなのに、急激に上がる体温のせいで暑いくらいだった。

「離れて」

「危ないよ」

「大丈夫」

「だめ。そう言って、亜子ちゃん火傷したでしょ?」

 あの日を思い出す。一緒に住む初めての日。私、抱き締められて、それから・・・キスをした。


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