夜空に君という名のスピカを探して。
『本当に私……宙くんに出会えてよかった』

『俺も楓といられて、幸せだった』


 ──私の名前を呼んだのは誰? 

この人が幸せだと言ってくれたことが、泣きたくなるくらい嬉しいのはなぜ?

 もしかしてこれは、私の失った記憶なのかもしれない。


『またね、宙くん!』

「そ、ら……」


 ──そうだ。この人の名前は宙、加賀見宙。

どうして、今の今まで忘れていたんだろう。

大事な人の名前だったのに!

 閉ざされた記憶の蓋が、ゆっくりと開け放たれていく。

 私は事故にあったあと、奇妙な体験をした。

知らない男の子の中でどこかの高校に通い、友達と出かけたり、家族と過ごしたり、夢についてふたりで悩んだこともあった。

今日出版した小説のネタになっていたものはすべて、幽霊になった私と人間の彼が一緒に生きていた軌跡だ。

それも彼の身体に宿っていた頃に、一度書き上げている。


『またな、楓っ』


 ずっと一緒にいた、大事な私の半身である君と約束したんだ。

もう一度会えたら、伝えたいことがあると言った、彼の言葉を聞きに必ず会いに行くと。


「楓、どうしたの?」


 由美子の声で、我に返る。

目を瞬かせると、目じりに溜まっていた涙が頬を伝った。


「泣いてるじゃん! 由美子、紙ナプキン取って!」

「紙ナプキンは硬くて痛いでしょ。ほら、私のハンカチ使って」


 心配そうな彩と由美子の声が聞こえる。

他のお客さんや店員もチラチラと私を見ていたけれど、そんなことはどうでもよかった。

私は由美子が差し出してくれたハンカチも受け取らずに、ゆっくりと頬に手を伸ばす。

温かい雫に指先が触れて初めて、この想いが本物であると悟った。


< 132 / 141 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop