夜空に君という名のスピカを探して。
「会社を継ぐ人間ね、ふた言目にはそれか」

『…………』


 皮肉めいた言い方に、思わず言葉をかけるタイミングを失った。

彼はなにかを考え込んでおり、おそらくほとんど無意識でトイレのドアを開ける。


『えっ、ちょっとまっ……いやぁぁぁぁっ』

 そんな私の悲鳴も届かないまま、加賀見くんは膀胱と大腸をすっきりさせてしまった。

ジャァァッという水の流れる音が、やけに虚しく響く。


「人が用を足しているときに、叫ぶやつがあるか」


 額に手をあててげんなりとした声を出す加賀見くんに、私は深い、それは深いため息をついて泣きそうになる。


『はぁぁぁっ……。信じられない、初めてだったのに……』

「誤解を招く言い方をするな」

『加賀見くんのバカ! 人手なし! 変態!』


 さっきまでは大事なものを喪失したような気持ちで気を失いそうになったけれど、今は怒りでどうにかなりそうだ。


「お前……いいか、よく聞け。俺にもう話しかけるな、鬱陶しくて敵わない、いいな?」

『えぇっ、そんな横暴な……』


 私の声は加賀見くんにしか聞こえないというのに、話し相手を失うのは排泄の感覚を共有するより辛い。

こんな状況で平静を保っていられるのは、加賀見くんが私を認識してくれているからだ。

これが透明人間みたいに誰にも認知されなかったら、今頃おかしくなっていただろう。


「俺の平穏を壊すな」


 加賀見くんの平穏……か。

確かにこの身体は加賀見くんのものだし、私がいたらきっとさっきみたいに迷惑をかけてしまう。

この状況をどうしたら解決できるのかは分からないけれど、ときが来れば私も解放されるかもしれないし、大人しくしていよう。


『わかった、大人しくしてるよ』


 渋々頷いて、私は黙っていることにした。

 それから加賀見くんはリビングに行ってお母さんと無言の朝食を終えると、スクールバックを手に学校へと向かった。


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