天使にまつわるエトセトラ 〜40歳で母になりました〜
不妊治療をお休みしよう!と、決意した翌日から、私はまず、カフェインを解禁しました。好きなだけ、コーヒーをガブガブ飲んでやりました(笑)。めっちゃスッキリした。
病院に通い始めてから、生活改善においても、ものすごく無理をしていたと思うんですよね。急にウォーキングを始めたり、紫外線の強い夏の間、運動不足にならないようにとエアロバイクを買って毎日漕いだり、大好きだったコーヒーや紅茶を一切絶ったり。「妊娠するには健康的な生活が何より」。それはそうなんですが、何事も程々が良い訳で、ただでさえストレスフルな治療なのに、普段の生活でも我慢、我慢の連続で、それもまた疲れに拍車をかけてしまったのでした。
思い返すと、治療中は「いつ妊娠してるか分からない」状態が常に続くので、食生活にはずっと気を遣っていました。特に、お酒。
仕事上、飲みに誘われる機会が多いのですが、明らかに妊娠してる訳じゃないから、大っぴらには断りにくいじゃないですか。それまでは普通に飲んでいたのに(笑)。
なので、後半はもう「アルコールを飲むとアレルギー症状で蕁麻疹(じんましん)が出る体質になっちゃったので、医者から止められている」ことにしてました。幸い、世の中がハラスメントに敏感な空気になっていたので、上司も取引先も誰からも強要される事はなく、助かりました。
そんなアルコールも、この休み中に解禁(笑)。元々そんなに飲めないので少しだけですが、それでも、私の卒業パーティーで、主役の私が飲まない、という事態は避けられたのでした。
そう。卒業。
そうなんです。
不妊治療をお休みした間に私がした一番大きな事と言えば、仕事を辞めた事でした。
辞めた、というと語弊がありますが、(全部の仕事を辞めた訳ではないので)身辺整理、かな。
自分が受け持っていた仕事の中で、一番責任が大きく、稼ぎも多かったものを、辞めました。やり甲斐も大きかったし、社会的に一番認知度の高い仕事だったから、辞めたくなかったけど、思いきって、辞めました。
何故なら、2度目の体外受精の際、その仕事のせいで、受精卵の移植日程を大幅にずらさなければならなかったからです。お医者さん的にベストなタイミングで提案された日程と、その仕事がバッティングしてしまって、仕事の方が、どうしても、どうやっても、休めなかったんですよね。そのせいかどうかは分かりませんが、結果、ダメだった。めちゃくちゃ後悔しました。仮病を使ってでも休めば良かった、と。
で、これはもう、これからもこんな風に融通が利かないのであれば、仕事の方を整理しないとダメだな、と思いました。だって、3ヶ月近くかけて、決して安くない治療費を払って、痛い思いをして、頑張って準備をしてきて、大詰めの移植でさぁ!って時に「仕事休めません」じゃあ。いままでの努力はなんだったの、ってなりますよね。最善を尽くしてダメなら諦めもつくけど、「あれのせい、これのせい」って要素が1つでもあったら、それがいつまでも後悔として残るな、と。
それでも、辞めたいと言ってすぐに辞められるようなものでも無かったので、直属の上司2人にだけ本当の理由(不妊治療)を話して、年度末をもって平和的に辞めさせてもらいました。その他大勢には別の理由で誤魔化しましたが。話のわかる(そして品の良い)上司たちで良かったです。ちゃんと話を聞いてくれた上で、本当の理由は皆に伏せて、応援してくれました。
そんなこんなで、身辺整理をして、リフレッシュして、身も心も元気を取り戻した頃。
不妊治療を再開しました。
お休みの期間は、ちょうど半年間。
私の年齢は39歳になっていました。
そして、通算4回目の体外受精で、ようやく、私のお腹に、卵がくっついてくれたのです。
割と立派な車が一台、新車で買えるくらいのお金を短期間でドブに捨てまくり、我が家の貯金は底をつきましたが、お金には代えられないものを授かりました。
借金する前に授かることができて、ほんとにほんとに、良かった。(汗)やーもうほんと、お金には代えられないけど、でもお金ないと続けられないんでね。(涙)
病院に通い始めてから、生活改善においても、ものすごく無理をしていたと思うんですよね。急にウォーキングを始めたり、紫外線の強い夏の間、運動不足にならないようにとエアロバイクを買って毎日漕いだり、大好きだったコーヒーや紅茶を一切絶ったり。「妊娠するには健康的な生活が何より」。それはそうなんですが、何事も程々が良い訳で、ただでさえストレスフルな治療なのに、普段の生活でも我慢、我慢の連続で、それもまた疲れに拍車をかけてしまったのでした。
思い返すと、治療中は「いつ妊娠してるか分からない」状態が常に続くので、食生活にはずっと気を遣っていました。特に、お酒。
仕事上、飲みに誘われる機会が多いのですが、明らかに妊娠してる訳じゃないから、大っぴらには断りにくいじゃないですか。それまでは普通に飲んでいたのに(笑)。
なので、後半はもう「アルコールを飲むとアレルギー症状で蕁麻疹(じんましん)が出る体質になっちゃったので、医者から止められている」ことにしてました。幸い、世の中がハラスメントに敏感な空気になっていたので、上司も取引先も誰からも強要される事はなく、助かりました。
そんなアルコールも、この休み中に解禁(笑)。元々そんなに飲めないので少しだけですが、それでも、私の卒業パーティーで、主役の私が飲まない、という事態は避けられたのでした。
そう。卒業。
そうなんです。
不妊治療をお休みした間に私がした一番大きな事と言えば、仕事を辞めた事でした。
辞めた、というと語弊がありますが、(全部の仕事を辞めた訳ではないので)身辺整理、かな。
自分が受け持っていた仕事の中で、一番責任が大きく、稼ぎも多かったものを、辞めました。やり甲斐も大きかったし、社会的に一番認知度の高い仕事だったから、辞めたくなかったけど、思いきって、辞めました。
何故なら、2度目の体外受精の際、その仕事のせいで、受精卵の移植日程を大幅にずらさなければならなかったからです。お医者さん的にベストなタイミングで提案された日程と、その仕事がバッティングしてしまって、仕事の方が、どうしても、どうやっても、休めなかったんですよね。そのせいかどうかは分かりませんが、結果、ダメだった。めちゃくちゃ後悔しました。仮病を使ってでも休めば良かった、と。
で、これはもう、これからもこんな風に融通が利かないのであれば、仕事の方を整理しないとダメだな、と思いました。だって、3ヶ月近くかけて、決して安くない治療費を払って、痛い思いをして、頑張って準備をしてきて、大詰めの移植でさぁ!って時に「仕事休めません」じゃあ。いままでの努力はなんだったの、ってなりますよね。最善を尽くしてダメなら諦めもつくけど、「あれのせい、これのせい」って要素が1つでもあったら、それがいつまでも後悔として残るな、と。
それでも、辞めたいと言ってすぐに辞められるようなものでも無かったので、直属の上司2人にだけ本当の理由(不妊治療)を話して、年度末をもって平和的に辞めさせてもらいました。その他大勢には別の理由で誤魔化しましたが。話のわかる(そして品の良い)上司たちで良かったです。ちゃんと話を聞いてくれた上で、本当の理由は皆に伏せて、応援してくれました。
そんなこんなで、身辺整理をして、リフレッシュして、身も心も元気を取り戻した頃。
不妊治療を再開しました。
お休みの期間は、ちょうど半年間。
私の年齢は39歳になっていました。
そして、通算4回目の体外受精で、ようやく、私のお腹に、卵がくっついてくれたのです。
割と立派な車が一台、新車で買えるくらいのお金を短期間でドブに捨てまくり、我が家の貯金は底をつきましたが、お金には代えられないものを授かりました。
借金する前に授かることができて、ほんとにほんとに、良かった。(汗)やーもうほんと、お金には代えられないけど、でもお金ないと続けられないんでね。(涙)