If・・・~もしもあの時死んでいたら~

純平さんと離れ離れに

「おはよう」
「おはよう。今日もいい天気だね」

 いつものように家まで迎えに来てくれた純平さん。
 奈々美の事は、夕べ電話で話した。
 良かったねと言ってくれた彼。
 これまでずっと、心の奥に怒りの感情を持ち続けていたけど、やっぱりそれじゃいけないと思う。
 いじめられて、死のうとしたのは事実で、もしあの時死んでいたら、今のわたしはいなかった。
 こうして純平さんという愛する男性にも会う事が出来なかったし、奈々美とも和解する事が出来なかった。
 生きていたからこそ今の幸せがあるわけで、これからまた試練は訪れるだろうけど、わたしは一人じゃないんだってわかったから、もうバカな真似はしないと誓える。
 
「今朝はとってもいい笑顔だね」
「そうでしょう。もう心が完全に晴れたって感じなの。こんなのって、何年振りかな?」
「清美が元気だと、俺も嬉しくなるよ」
「ごめんね。今まで助けてくれて。これからも宜しくね」
「もちろん」

 会社に到着し、更衣室に入ると、めぐみと奈々美が着替えているところだった。
 このツーショットに、一瞬ドキッとする。
 夕べ、奈々美と和解した事はめぐみにも話した。
 だから、殴ったりはしてないだろうけど、常日頃、何かあったら殴るだのぶっ飛ばすだの物騒な事を言っていためぐみなので心配になる。

「めぐみ、奈々美の事、殴ったりしてないよね?」
「何それ。そんな事するわけないじゃない。だって、清美と春川さん、友達なんでしょ?」

 友達。
 そうだね。
 また友達に戻れたんだね。

「今話してたの。今度からお昼一緒に食べようって」
「そうなの。大野さんが誘ってくれたの。だから、一緒に食べよう」
「うん」

 嬉しかった。
 会社に友達が二人もいる。
 ううん。
 安田さんも、瀬高さんも。
 それから純平さんも、みんなみんな大切な人。

 朝礼が終わり、各ポジションにつく。
 今日からまた元気に働こう。

「小田さん、これ総務に届けてくれる?」
「はい」

 いつものように、友田チーフから用事を頼まれる。
 奈々美と和解する前は、仕事とはいえ総務の事務所に入るのが億劫だった。
 純平さんに会えるのはもちろん嬉しい。
 と同時に奈々美の顔を見るのは嫌だった。
 その状態から開放され、今は二人に会えるのが嬉しい。

「失礼します。和田リーダー、これ友田チーフからです。印鑑下さい」
「ちょっとそこで待ってて。すぐ目を通すから」
「はい」

 待っている間に事務所を見回す。
 いたいた。
 パソコンに向かって、何かを入力している奈々美がいた。
 彼女は、わたしが来た事に気づくと、控えめに手を振った。
 わたしも笑ってそれに答える。

「よっ。お疲れ」
「純平さん、どこかに出掛けるの?」
「ああ。じゃ、またお昼に」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

「いいわね~」
「わっ。いらしたんですか」

 いつの間に戻ったのか、目の前に和田リーダーが立っていた。
 
「あなた達、いつ結婚するの?」
「結婚!」

 思わず声が出て、慌てて辺りを見回す。
 セーフ。
 みんな仕事に集中していた。

「まだそんな事、考えてませんよ」

 と言うのは嘘。
 純平さんが、結婚を前提に付き合って欲しいと言ってくれた時から、いつプロポーズされるのかと気になってしかたがない。
 やっぱり一年くらい付き合ってからかな?
 いつか言ってくれるよね?
 多少の不安はあるけど、大丈夫だって信じたい。
 だって、純平さん以上の人は絶対現れないから。

「じゃ、これ。はんこ押したから渡しといて」
「ありがとうございます。それでは失礼します」

 倉庫に戻り、受け取った書類を渡す。
 素早い対応に、友田チーフも満足気だ。

「小田さん、さっき石原部長が探してたわ。行ってみて」
「わかりました」

 倉庫の中を、部長を探してぐるぐる回る。
 棚がたくさんありので、一列違ったら姿は見えない。

「石原部長、いらっしゃいますか?」

 返事が無い。
 応接室かな?

 倉庫の奥の一角に、小さな応接室がある。
 扉が付いた個室なので、ドアを閉めると中の声は聞こえなくなる。
 メーカーの人が来た時なども、この部屋で話をする事が多い。

 扉の近くに行くと、電気が点いているのがわかった。
 そして、中を覗くと部長が座っていた。

 トントン

 わたしに気づくと、部長は手招きをした。

「失礼します。お呼びでしょうか?」
「ああ。ちょっと座ってくれる?」
「はい」

 何だろう。
 こんな所であらたまった感じで話す時は、だいたい悪い話と相場が決まっている。

「早速なんだが、鹿児島のうちの支店知ってるよね?」
「もちろんです」

 我社は、福岡の本社を筆頭に、全国に支店が九つある。
 そのうち九州は本社と鹿児島支店の二箇所。
 時々在庫の問い合わせで、うちの倉庫にも電話が掛かってきて対応した事がある。
 それから、半年前までこちらで働いていた林田くんもそこの倉庫に転勤になった。
 彼とは、一緒に働いていた時、めぐみと三人でつるむ事が多かった。
 二つ年上だけど、面白くて乗りのいい人だ。
 めぐみとの掛け合いが、漫才のようで面白かった。
 林田くん、元気かな?
 
「来週の月曜から一ヶ月、出向してもらいたい」
「えっ……」

 そんな事、全然考えもしなかった。
 出向?
 一ヶ月も?
 待って待って。
 という事は、一ヶ月も純平さんと会えないの?
 どーんと、重い石を乗っけられた気分だった。

「あの、向こうで何をするんですか?」
「倉庫のリーダーが辞めてね。課長にリーダーの仕事を兼任してもらってはいるんだが、彼は細かい業務までやらせる事は出来ない。そこで、倉庫の事を熟知した社員が必要なんだ」
「それだったら、林田くんがいるじゃないですか」

 そう。
 何もわたしを出向させなくても、林田くんという適任者がいる。
 彼は働き者だし、周りにも気を配れる人だ。
 おまけに元気がいいので、倉庫内に活気が生まれる。
 わたしみたいな大人しい女とは比べ物にならないくらいの存在なのにどうして?

「そういえば小田さん、林田くんがこっちにいる時親しかったよね?」
「ええ、まあ。よく話はしてました」
「丁度いい。彼の様子も見てきて欲しい」
「どういう事ですか?」
「行けばわかる。以前の彼とは別人のようになってしまった」

 どういう事?
 部長はそれ以上詳しくは教えてくれなかった。
 林田くんが別人?
 あんなに元気で面白かった人に何があったっていうの?

「来週から新しい社員を一人入れる事になっている。その子に仕事を教えたら君は帰って来てくれ。一ヶ月あれば大丈夫だとは思うんだが、覚えが悪かったらもう一ヶ月延長してもらうかもしれない」

 そんなぁ。
 二ヶ月も純平さんと離れ離れなんて絶対無理!

「あとはみんな既婚のパートさんでね。だから、学校の行事とか、子どもの病気とかで休む人も多いんだが、うちの倉庫は、誰かが休んだら残りのメンバーがその人の分まで頑張るっていう体制が整っているだろ? だけど、あっちにはそれが無いみたいで、時間になったら仕事が残っていても帰ってしまうらしい。という事は、リーダーと林田くんに負担が掛かっていたわけだ」
「それじゃ、リーダーがお辞めになった後は、林田くんが一人で?」
「ああ。遅くまで残ってやってくれている」

 そうなんだ。
 だけど、それで人が変わってしまうほど疲れているというの?
 わたしの知ってる林田くんはそんな人じゃなかった。
 こっちにいる時も残業もあったし毎日忙しく働いていた。
 それでも弱音も吐かず、日々元気に働いていた。
 彼がしょんぼりしている姿なんか、一度も見た事がない。

「まあ、そういう事だから頑張って来てくれ。君なら出来る。期待してるよ」
「でも、ほとんど年上の方ですよね? わたしのような人間の言う事、聞きたくないんじゃないでしょうか?」
「大野さんでもいいんだが、彼女だと喧嘩になりそうでね」

 うん、確かに。
 何でも強気で発言するからね。
 だけど、どうしてわたし?

 倉庫のメンバーを思い浮かべる。
 そうだな、自由がきくのって、わたししかいないか。
 だけど、やっぱり嫌だな。
 
「部長、夕方まで考えさせて下さい」
「わかった。わたしは君しかいないと思っている。いい返事を期待してるよ」
「はい」

 という事で、午前中の仕事はどんよりとした黒い雲に包まれて働いているような気分だった。

 昼休みになり、めぐみと食堂に向かう。

「ちょっと清美、走らなくても席は空いてるよ」
「早く純平さんに会いたいの」
「どんだけラブラブなのよ~」

 総務を覗くと、純平さんも奈々美もいなかった。
 と言う事は、先に食堂に行ってるはず。
 階段を下り、食堂に入った。
 いた。
 純平さんと奈々美が座っていた。

「純平さん」
「お疲れ」
「早かったのね」
「何? 二人とも走って来たの?」
「そうなんですよ~、清美が椎名さんに早く会いたいっていうもんだから」
「えっ、そうなの?」

 純平さんの顔がにやける。
 そんなんじゃないの。
 一大事なのよ。

「純平さん、部長が鹿児島支店に行ってくれないかって」
「えっ? 俺?」
「違うわよ。わたしよ」
「えっ!」

 驚いて声を出したのは三人同時だった。
 
「どういう事?」

 わたしは部長の説明をそのまま話した。

「めぐみちゃんか、清美かどっちかって事か」
「で、きっと部長、わたしが行ったら喧嘩が勃発するとでも言ったんでしょ?」
「当たり」
「マジか。冗談で言ったつもりだったんだけど」

 ちょっぴり凹むめぐみ。
 純平さんも神妙な顔をして何か考えてる。
 そんな二人を交互に見ている奈々美。

「で、行くって言ったのか?」
「まだよ。だから急いで純平さんに相談したかったのよ。部長には夕方返事をする事になってるの」
「部長が清美が適任だと思ったんなら、その選択は正しいのかもしれない。だけど、俺も一週間くらい出張してた事があるけど、なかなか手ごわいぞ。あっちの女性は」
「怖いよ、わたし」
「そうだよな」

 向こうでは、頼る人がいないんだよ。
 もし強い態度で出られたら、どう対処すればいいの?
 どんどん不安が大きくなる。

「期間はどのくらいなんだ? 一週間? 二週間?」
「それが一ヶ月」
「一ヶ月!!」

 純平さんの声に、近くのテーブルにいた社員が一斉にこちらを向いた。

「あ、ごめんごめん」

 純平さんは慌てて謝り、声のトーンを落とした。

「そんなに長いのか」
「しかも、新しい社員が覚えてくれなかったら、延長も有りそうなの。どうしよう。わたし出来ないよ」
「……わかった。それじゃわたしが行くよ」
「めぐみ?」
「あっち、林田くんもいるでしょ? 何かあったらきっと彼が助けてくれるよ。っていうか、血がのぼったわたしをなだめてくれるはず」

 めぐみには、林田くんが変わってしまったらしいと言う事は話さなかった。
 実際に会ってみないとわからなかったし、部長の言葉を信じたくなかった。

「でも、一ヶ月だよ」
「上等よ」
「その言い方が既に怖いんですけど」
「わたしに任せなさいって」

 という事で、昼休みが終わり、倉庫に戻ったその足で、わたしとめぐみは部長に話しに行った。

「失礼します」

 応接室には五分もいなかった。
 そこから出た途端、どどーんと、朝より大きな岩がわたしを押しつぶした。

「まったく何よ。わたしか清美って言ったくせに、結局清美しかいないって結末じゃん。何なのまったく」

 そう。
 結局、ほぼ強制的にわたしが行かないといけない事になった。

 どうしよう。
 どうしようもないのよね?

 帰りの車の中で、わたしは行きたくないを連呼した。
 純平さんは、本当は離れたくないけど、行ってみるのもいい勉強になるかもしれないと言う。
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