残念な上司に愛の恐竜料理を!

9貫目


 不意にパシャパシャと海面を打つ音がセラミックの耳に入った。さっきまで泳いでいた入り江の波打ち際に、何か大きな魚のような生物が背びれを出して遊んでいる。

「ああ~っ! すごい! まるでイルカみたい」

 タオルを羽織った森岡世志乃が、サングラスを下げて眼を細めながら、つぶさに観察する。

「う~ん、確かに姿形や大きさ、色までイルカそっくりですわね。でも哺乳類じゃなくてよ。爬虫類の一種で、いわゆる収斂進化と呼ばれる物ね」

 ビキニの吉田真美が素っ頓狂な歓声を上げて喜んだ。

「やった! オフタルモサウルスじゃない。アメリカ調査隊の奴ら、危険を冒してまで沖に出て馬鹿だね~。ここにいっぱいいるじゃないか」

 オフタルモサウルスはイルカよりも明らかに大きいが、軽くジャンプしたりしながら、入り江に豊富な魚介類を漁っているようだ。さっき見たイカそっくりなベレムナイトを追っかけているのかもしれない。セラミックは珍しい海の生物を間近に見れて、嬉しくなってきた。

「わあ、漫画みたいに大っきな目で可愛い! つぶらな瞳なんだね……目玉ちゃんと名付けよう」

 真美さんはセラミックの安易な命名に呆れて破顔一笑した。

「ふふ、確かに目玉ちゃんだな。イルカのように超音波を使ってエコーロケーションしてないから、エサ取りや敵から逃れるのも、全部デカい目の視力に頼っているんだろうね」

 松野下リーダーが弛緩した顔で、ボリボリ背中を掻きながら見物に割り込んできた。

「……あの巨大な目を水圧から守るために目玉の中に骨が入ってるらしいぜ。確かリング状で強膜輪って言ったかな?」

「へぇ……。ウチのリーダーほどじゃないけど、アンタも物知り博士なんだね」

「何と失敬な!」

 にわかに海上から不規則な連続音が響き渡り、遠雷を思わせる振動が渚にまで届いた。

「おい、今確かに銃声が聞こえたよな?」

「ええ、沖のアメリカ隊に何かあったのかも!」

 松上はベッドから飛び起きると、アメリカ調査隊から貸与されたH&K HK416を2丁抱えて駆け付けてきた。重厚な金属製品が放つ言いようもない冷徹さが、一堂に稲妻のような緊張感を走らせる。

「おい、何やってんだ! 松野下リーダー! 俺達の出番だぞ、すぐ沖に出る! 真美さん、セラミック達を頼んだぞ!」

「えっ!? ……ええ、分かったわ」

 松野下はM4カービンそっくりなHK416を松上から受け取ると、急いで上着とライフジャケットを装着し、小型硬式ゴムボート(RHIB)を海に投入するため、テントの方に向かって出立した。残された3名の女性隊員はしばらく呆然と立ち尽くす。

「アメリカのハンター達に何かあったのかな……」

 セラミックと森岡世志乃が不安に曇る表情を見せてしまった。真美さんは、それらを払拭するように強気で堂々とした態度を崩さない。

「あの2人が助けに向かったから大丈夫よ! あたしが保障する……って、どう考えてもダブル松コンビよりアメリカ調査隊の方が屈強な男達が揃っているよね。逆に足手纏いにならなきゃいいけど……」

「松上さんが怪我したりしないか、とても心配ですわ……きゃああぁ!」

 森岡世志乃が突如、悲鳴を上げた。それもそのはず、先ほどまで楽園のようだった入江の静かな海が、闖入者により騒然と化していたのである。
 多くのオフタルモサウルスが逃げ惑う中、1頭を狙って執拗に追いかける捕食者がいる。3メートルほどの滑らかでオール状の四肢を持つ生物が、長い尻尾と共に海中に透けて見えた。真美さんが叫ぶ。

「あれは海生ワニのメトリオリンクスじゃない!」

 とうとう逃げ遅れたオフタルモサウルスの小さな個体が尾びれに噛み付かれ、海面を激しくバタつかせた後、海を紅色に染めた。

「いやあああ! 逃げて!」

 頭を抱えるセラミックの悲痛な叫び声が水面を渡る中、メトリオリンクスはワニらしく強靱な顎を獲物の肉に食い込ませるや、ツルツルとした体を回転させ引き千切らんとする。
 その顎が持つ力か、オフタルモサウルスの死に物狂いによるキックの力か判然としないが、海面から尾を失った魚竜が飛び出した。そしてそのまま数メートルを弾け飛び、砂浜に上下逆でドサリと落下して転がると、千切れた尻尾から鮮血を左右に飛ばしたのだ。乾いた白洲が、みるみるレッドカーペットのようになると、哀れな生命力を吸収してゆく。

「目玉ちゃん!」

 思わずセラミックは丸腰の水着のまま、オフタルモサウルスに向かって走り出してしまった。
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