俺様紳士と甘えた彼とのハッピーエンドの選び方
ステージ袖から出てきた人物を見て、彩華は1度「え……」と、声を洩らしてしまった。そこには、黒いスーツを着た、細身で長身の男がゆっくりと歩いていた。けれど、その男性の顔は中世ヨーロッパの仮面舞踏会でつけられていたような、真っ白な面にきらびやかな石や羽で飾られた仮面がつけられていた。
驚いているのは彩華だけで、周りのお客さん達は沢山の拍手で仮面の男を迎えていた。周りの人たちから、小声で「仮面をつけていてもかっこよさは隠れてないわよね」という、声まで聞こえた。
その仮面の男は、ピアノに座る前に観客に向けて、綺麗にお辞儀した後、ピアノの椅子に座った。
すると、拍手は止まり会場には一時の静けさが訪れる。観客は皆が仮面の男を見つめている。男が優しく鍵盤に触れ、そして優雅な腕の動きから指で鍵盤を叩き始めた。
「ぁ…………」
それはピアノの音にかき消されてしまうほど、小さな声だった。
思わず声を出してしまったのに、理由があった。仮面の男が弾き始めたのは、ドビュッシーの「月の光」だった。
彩華が葵羽のピアノを初めて聴いた時の曲と同じものだった。
その音色を聞けば、あの仮面の男が誰なのか、などわかってしまう。いや、彩華は男が出てきた瞬間から仮面の男が葵羽だとわかってしまった。
葵羽の描く優しい音色が会場を包み込む。仮面の男を見る観客達はうっとりとした表情を浮かべたり、とても心地良さそうにしていた。
彩華はぎゅっと手元に置いてあるバックを握りしめた。
葵羽は沢山の観客を魅了する演奏家だったのだ。
彼が秘密にしていた事。神主以外の仕事とは、これの事だったのだろう。
葵羽が何故この事を自分に内緒にしたのかは、彩華にはわからない。けれど、彩華に話そうとしなかった秘密の仕事。
それを、彩華の目の前で堂々と伝えてくれたのだ。
それが嬉しくて、思わず涙ぐんでしまうけれど、今は葵羽の奏でる綺麗な音楽を聞いていたかったし、彼の晴れ舞台をしっかりと目に焼き付けておきたかった。
彩華の部屋で彼が弾いてくれた「月の光」。その時の葵羽の姿と重ねながら、彩華は彼の作る華やかなこの空間に浸っていったのだった。