好きなんかじゃない
歌と舞曲の書
ゆりちゃんはいつも後先考えない。
今日も、「やろう!」と言いながら、鶴乃に丸めた教科書で切りかかり教室をざわつかせている。
「やめろって!」
長いピンクの爪の女子、眉村が金切り声を上げながら、ゆりちゃんにつかみかかる。
鶴乃は、机にしたたか腰をぶつけ、友達のサッカー部の水井君に助け起こされている。
ゆりちゃんが眉村を引きずり倒し、鶴乃に詰め寄ってはっきりと通る声で言う。

「いきなりたたくことないじゃない。謝んなさいよ!」

ゆりちゃんは強い。こういう時に絶対折れないから。
腰に一人ぶら下げた状態でゆりちゃんは再度言った。

「謝れって言ってんの!聞こえないの?」

私は、張られた頬を赤くしながら泣いている槇原さんの肩をさする。
他のクラスメイトはこわごわと事の成り行きを見守っている。
私は、槇原さんの頬を見る。
たたかれたときに爪でひっかかれたのか、みみずばれが走っている。
よく見ると、わずかだが血も出ているようだ。

「あ、ま槇原さん、保健室、行ったほうがいいかも」

私はこわごわ言った。
ゆりちゃんをほっておくのも心配だが、この状態も心配だ。
槇原さんはぶるぶると首を振る。
泣きながら何か言おうとしている。

「なに、槇原さん?」

私は槇原さんの口元に耳を近づける。
槇原さんは震える声で

「私、鶴乃さん……の、彼氏と、浮気、なんか……してない
 さそわ、れたけど、断ったの」

しゃくりあげながら、槇原さんは言う。
そうなんだ、
でも、私にはそっちが正しいのかはわからない。
その時、ゆりちゃんが鶴乃さんにつかみかかられる。
ゆりちゃんがバランスを倒して鶴乃さんごと床に倒れた!
静かになる。
私はあわてて、二人に駆け寄る。
起き上がってこない。

「しってたもん……知ってたし」

ゆりちゃんに馬乗りになった鶴乃さんはゆりちゃんにつかみかかった姿勢のまま
泣いていた。
皆まで言わなくても、その事は何となくわかっていた。

すっかりおとなしくなったゆりちゃんと槇原さんを保健室に連れていく。
槇原さんはまだくすんくすんと鼻を鳴らしながら、私の袖を握りしめて歩く。
槇原さんの胸元で私のハンカチがくしゃくしゃに握られている。
渡り廊下を歩いていると、ふいにゆりちゃんが

「喉乾いた。自販機でなんか買ってくる」

と言い出した。
きっと、今になって後悔してる。やりすぎたとか、
ゆりちゃんにはひとりになる時間が必要だ。

「うん、わかった。保健室で待ってるね」

私がそういうと、ゆりちゃんは渡り廊下から、上靴のままで購買のある第二校舎まで走って行ってしまった。
ゆりちゃんが見えなくなる。
私たちは歩き出す。
保健室へ着くと、槇原さんが

「すみません」

と、声をかけた。

「はーい」

帰ってきた声は、いつもいる保健室の先生ではない。
私たちは、引き戸を開ける。
ようこそと書かれたウサギの形の看板が揺れた。

「今、先生いないよ。」

と言って、ベッドのカーテンから顔を出したのは、藤田だった。
藤田は、私たちの姿を見て驚いた顔をする。

「どうしたの?蔵本、とみゆうちゃん」

藤田に泣き顔を見られるのが嫌なのか、槇原さんは顔をハンカチで隠してしまった。
私が説明する。

「え、っと、みゆ……槇原さんが鶴野さんにひっぱたかれたの」

自分のした貧相な説明に嫌になる。
藤田は不思議な顔をする。

「なんで?」

「槇原さんが、鶴野さんの彼氏と浮気したんじゃないかとか、そんな感じの、で、ゆりちゃんがいきなりたたくなんてひどいって、言ったら鶴乃さんにつかみかかられて、それで」

藤田は

「みゆうちゃんは、そんなことしないでしょ」

と言いながらカーテンを開け、ベッドのへりをポンポンとたたいた。
私は槇原さんの手を取って連れていく。
槇原さんは藤田に示されたようにおとなしく座る。
その間、藤田はベッドを出て、先生の棚やワゴンの上の薬品を漁っている。

「勝手に触ってもいいの?」

私は藤田に尋ねる。

「いーよいーよ、それより頬っぺた早く処置しないと。
みゆうちゃんの綺麗な顔に傷が残っちゃう。」

藤田は、槇原さんの隣に薬品類とばんそうこうを雑に置いた。
そして、先生の椅子を引っ張てくると自分が座り、シャツの袖をまくった。
白い腕が見える。
藤田がそっと槇原さんの手を取って頬から離す。

「これは、ひどいね」

藤田は言う。
口元から耳のあたりまで太い赤い線が引かれていた。
藤田は私に向かって

「そこの冷蔵庫から保冷剤とって」

といった。
私は保冷剤を取りに行きながら二人の様子を見る。
藤田は壊れ物を扱うように槇原さんに接している。
消毒を含ませたコットンで頬のみみずばれをなぞると、槇原さんが染みるのか、顔を少ししかめて小さく声を上げる。
藤田は優しく

「痛い?」

と聞いた。
それに対して、槇原さんは

「だいじょうぶ。ありがとう」

と答える。
コットンに鮮やかな赤い色がつく。
それを見て、槇原さんが悲しそうな顔をした。

「血が出てたんだ。」

「このくらいなら、きれいに治るよ」

二人が会話をする。
保冷材は冷凍庫の中にあった。
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