好きなんかじゃない
今が授業中ってことをすっかり忘れていたから、なんだと思う。
私は廊下数歩言ったところで、担任の諸口先生につかまった。
私は今、先生と地理学準備室にいる。
綿のつぶれた固い椅子に座らされている。
先生が、ほれ、と言って私に湯気の立ったコーヒーを差し出した。
くまの描いてあるかわいいカップ。
中は茶色いしみがついている。

「固くなりなさんな。別にさぼったくらいで怒りゃしねえよ」

「あ、りがとうございます」

私は受け取った。
さっきジュース飲んだばかりであんまり喉乾いてないけれど。
そういえば、ミルクティー、どうしたっけ?
保健室に置いて来ちゃったかな。

「で、聞きたいんだけど」

先生が向かいの椅子に座る。
机の上が書類だらけで汚い。

「昼休みに喧嘩したんだって。鶴乃と谷村が。見てた?」

そうか。あれはゆりちゃんと鶴乃さんの喧嘩になるんだ。
先生はパンダのコップでコーヒーをすすった。

「見て、ました」

声が震える。
どこまで言うべきなのか。
鶴乃さんが先生に怒られるような事態はなんとしても避けたかった。
でも、先生に恋の話を全てしたら、やっぱり鶴乃さんは傷つくと思う。
先生が口を開く。

「槇原を保健室に連れっててくれたのは、蔵本だってな。クラスの奴らから聞いたよ。
 原因も彼氏を取ったとか取らないとかなんだろ?」

ああ、なんだ。もうそこまで知ってたんだ。
私はがっかりして

「私も、それくらいしか知らないです」

と言った。本当にまとめると簡単な話だ
 手なんか出さなくてもいいような。

「まぁ、やめてほしい、よな。」

先生がコーヒーを眺めながら心底面倒くさそうに言った。

「公衆の面前で殴り合いなんかしなくていいのにな。女子なんだし。
 しかも、谷村、全然関係ないんだろ」

私は諸口先生の事は嫌いではなかった。
でも、すこし、今のいい方には引っ掛かりを覚えた。

「そうなんでしょうか?」

私は思わず言った。
地理学準備室に思ったよりもおおきい声が通る。
先生は、声の大きさは気にもせずに

「そうだよ。自分の勝手な感情で無関係の他人をケガさせたんだからな。」

確かに槇原さんは無関係だ。
誘われてもきちんと断った、と本人も言っていた。
きちんとしてる。きちんとしてるから……
自分の好きな人が簡単にすげなく断れるのもつらかったんじゃないのかな。
自分だって好きな人に見てもらえなくて。

「一番かわいそうなのは槇原なんだから、加害者をかばおうとか考えるなよ」

先生は言う。

「私、本当に知りません。連れて行ってそれだけです。」

「治療、したのは蔵本、お前か?」

「治療……。」

「養護教諭の、いなかったろ。蔵本がやったのかと思ったんだが」

藤田がやったって言わなかったんだ。槇原さん。

「私、です」

先生は眉を動かして私を見た。

「ま、あんときは仕方なかったけどな。あんまりいじるなよ。薬品なんだから。
 結局、はがして消毒からやり直したらしいぜ」

なんだ。はがされちゃったんだ。
藤田が大切に手当てしたのに。
あの時間が無くなっちゃったみたいだな。
あの時間を大事に持っておきたい人なんていないのかもだけれど。

「もう行っても、いいですか?」

先生は、もう私に興味がないのか目を合わせずに「ああ」と返事をした。

「失礼します」

マグカップを先生に手渡して、廊下に出る。
コーヒーじゃない、澄んだ香りがした。
私は、やっぱり藤田をさがさないと。

コーヒーは結局一滴も飲めなかった。
< 15 / 24 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop