好きなんかじゃない
「奇跡ってこーゆー事、言うんだろうね」

病院の待合室。
先生は煙草を吸いに行ってしまい、私たちは待合室で座っている。
ぐったりと、藤田が言った。

「うん、私たち生きてるね」

養護教諭の先生からもらった書類はいつの間にか私の手の中でぐしゃぐしゃに
握りしめられていた。
いまだこぶしが痛い。
体中がこわばっているのはあの運転のせいなのか、落ちた衝撃なのか。
私は肩を回した。
それを見て、藤田も伸びをする。

「あー、俺も体バッキバキなんだけど」

そうなんだ。
じゃあ、私のコレも運転の後遺症かな。
私はごみみたいになった書類のしわを手で伸ばす。
藤田は

「もう、それムリじゃない?」

と言った。
でも、このまま渡すわけにはいかないし

「さすがにこんなの渡せないもの。」


と返した。
焼け石に水なのはわかってるんだけど。

「しっかし、さぁ。あんなに駐車ミスるかね」

藤田があきれたように言う。

「私のお母さんとかはもっと早いよ。一回でスッと入れる」

まぁ、毎日運転してるからだけど。

「意外に特殊技能なのかもよ。」

藤田は笑って言う。

「センセの意外な弱点見つけたかも」

私たちは顔を見合わせて笑った。






結果から言うと、私は正常。
脊椎に傷も入ってない、ということだった。
安心、でいいのか、
素直に喜べないのは、検査が終わったら先生の運転する車に乗らなくちゃならない。
藤田も

「安心した。これで蔵本を許せる」

と言ったきり、黙り込んでスマホをいじりだした。
先生も学校出た時よりも、だいぶ疲れた様子だ。
正味15分くらいの旅だったけど。
帰り、先生の集中力、もつかなぁ

病院を出て、すぐ渋滞につかまる。
よかった。少なくとも、スピードを出して電柱にぶつかる、みたいな事故には
なりそうもない。
私は酔わないように外の景色を見ていた。

「藤田。スマホで何見てんだ?」

先生が藤田に尋ねる。
藤田は病院を出てからずっとスマホをいじっている。
すっかり日は暮れて、スマホの明かりが藤田の顔を照らす。

「メール……」

「今時珍しいな。若いやつってSNSとかが主流じゃないのか」

「今日、バイトサボったから」

「……バイトって何やってんだ?」

先生の声色が変わる。
藤田がスマホから顔を上げ、先生の顔を見る。

「コンビニ店員」

「へぇ、そりゃ大変だな。品出しとか、重いんだろ?」

「そうでもないよ。ほとんどスナックとかだし」

「ふうん、そう」

なんだか、不穏な会話をしている。

「ねぇ蔵本、蔵本はなんかバイトしないの?」

藤田が私を見る。

「私……?私は、はしてない、よ」

ゆりちゃんはしてるけど、いつも忙しそうだしなぁ。
藤田は前に向き直る。

「ふーん、僕のやってるやつ紹介しよっか?」

「ダメ」

先生が言う。

「すくなくとも、貯水槽に上らなくなるまでダメ。バイトとか危ないだろ」

確かに。

「そうかもね」

藤田が笑う声がする。
私は思いついたことを言う。

「あの、槇原さん、大丈夫でしたか?」

「そーいや、俺もあれからあってないなあ」

藤田が同調した。
先生は

「どーだろうなぁ。まぁまぁショック受けてたみたいだぜ。
 鶴乃が謝ってるの見たから、多分、大丈夫とは思うんだけどな
 あれ、なんだったんだ、結局?」

藤田が言う。

「鶴乃の彼氏、2組のヤツ。あれが元々、みゆうちゃんが好きだったらしいん
 だよね。まぁ、鶴乃もそれは承知で付き合ってたらしいんだけど、さすがに
 んで、二か月付き合ってたんだけど彼氏がさ、委員会にみゆうちゃん誘った
 んだよね。 それで、キレちゃったらしい」

藤田は指先をひらひらと動かした。

「なんだ、知ってたんだ」

私は思わず言った。

「まぁね、俺は鶴乃たちとはよくしゃべるし」

ま、当たり前か。
私より知ってるよね。

「もしかして、それ知らせてくれようとしてたの?」

藤田は面白そうに私に尋ねる。

「うーん、それもあった、かも」

残念、というか、なんというかだなぁ。
藤田は

「俺、別に止めもしなかったしね。フツー彼氏ぶっ叩かない?」

「そーいや、なんでだろうな」

先生が考え込む。

「彼氏の事、好きだから責められなかったんじゃないですか?」

私はそう言った。

「認知のゆがみ、だな。」

先生が言う。
認知のゆがみ?

「何ソレ?」

藤田が不思議そうに聞き返す。

「精神医学の用語だ。事実に対する捉え方の問題で極端な完ぺき主義だったり、
 異常にマイナス思考になったりする。
 今回、鶴乃は感情的になって、思わず手が出たわけだろ。行動を起こす前に
 どこかでその行動を肯定してしまったんだよ。無意識にな」

「センセ、なんか教師みたいだねぇ」

「教師だよ。本職のな」

「鶴乃さん、後悔してますよね……?」

私はぽつりと言った。
先生は少し時間を空けて、

「まぁ、そうだろうな。
 一番凄惨な形で恋は終わったんだろうし」

先生。
鶴乃さんが乱暴な子じゃないってわかってたんだ。
それだけでもよかったかも。
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