太陽に抱かれて
イーゼルを立てる男の後ろで、ももは小屋を覗いた。
六畳ほどの小さな部屋、所狭しとカンヴァスやイーゼルなどの画材が並べられている。
机や棚には、出しっ放しのチューブや鉛筆、陶器の筆立てには大小異なる絵筆やペインティングナイフが何本も立てられ、雑多な感じがいかにも画家の棲まう場所という印象だ。
「……すごい、アトリエって、こんななのね」
二つある大きな窓からは、それぞれ白いレースのカーテン越しに朝の日差しが差し込んでいるが、どこか薄暗い。
それでも、どこか胸が高揚した。何枚も何枚も飾られた風景画に、埃っぽく湿った匂いに。
「……懐かしい」
小学生の頃だったか。渡り廊下を渡って、別の校舎へと向かうとき、この匂いをよく嗅いでいたのを思い出す。
普段あまり使われないせいか、それとも、プールの近くだったからか。美術室への道のりはいつも埃と湿気の隠微な匂いに満ちていて、友人たちはこぞって顔をしかめていたけれど、ももはそれが好きだった。授業で使う教材を胸に抱えて、その匂いを胸に閉じ込めたりもした。
ももは、深呼吸をする。
窓の向こうに影が映っていた。
カーテンにその大きな影が、ゆらりゆらりと揺れていた。
ももは瞳を閉じてその残像を味わったあと、台の上に無造作に置かれたカンヴァスへと手を伸ばした。
セーヌの水面だった。
太陽に照らされ、水面はきらりきらりとさんざめき、乙女の艶髪のごとくそこにかかるしだれ柳がやわく影を落としている。昨日とは違うアングルの風景。
「きれい」
カンヴァスの中に描かれたものは、決して、動きはしない。
そうだというのに、ももの瞳に映る柳はそよぎ、反射する光が揺れていた。
あたたかな風が吹いているのだろう。まったりとした午後の日差しに包まれて、青い川の匂いがする。きっと、水の中は冷たいに違いない。
指先でカンヴァスの肌をなぞる。
絵の具の重なりでできた凹凸が指先に伝わり、ジンジンと目の奥を喉の奥を突いた。
ごくり、ももは喉を鳴らした。
「——なにしてる」
不躾な声が背中に突き刺さり、ももは慌てて手にしていた風景画を元の場所に戻した。