星空メロディ
「ねぇ、武、龍太はこれで本当に喜んでくれるのかな?」
紺青色の海が月明かりに照らされて銀色に輝いている。
私は海風に吹かれながら隣にいる幼馴染、北山武に聞いてみた。
「多分、喜ぶんじゃねぇのかな。あいつ、俺たちの中で一番星や星座が好きだったし。あの事もあるし。」
私は、北山 武くんのその言葉を聞いて、心がほんのりと温まる気がした。
「そうだよね。龍太、とても星が好きだったもんね。龍太いつも『僕は星を何時間見てても飽きない。
星ほど美しく、綺麗なものは無い。
望遠鏡で見たら一層綺麗だ。
宇宙空間で起きている自然現象は、僕にとってこれ程知的好奇心を唆られるものは無い。その星の生と死の誕生を僕は解き明かしたいんだよ』って言っていたもんね。何よりも、そして、誰よりも星を愛していたと私は思うな」
同じ海、同じ星空、同じ地平線、同じ月、みんな見ているものは一緒の筈なのに、何故か同じものを見て感じることはこんなにも違う。
それが、嬉しいのか、悲しいのかは分からないけれど、何故か、こんなにも近いのに何処か遠いところにいる気がして仕方がなかった。
私は、夜空に無数に輝く星空を見上げながら、十年前のあの日の事を思い出 していた。
十年前のあの日、小学校二年生だった私達は、学校が終わると、一旦家に帰ってそこから学校の近くにある公園で待ち合わせをし、そこから釣りや星空観察、虫捕りをして遊んでいた。
その日もいつも通り、星空観察をする為に、公園に十八時に集合の約束をしていた。
一番早く公園に着いたのは私だった。
私は、腕時計をちらりと見る。
腕時計の針は、集合時間の六時を指していた。
それから約十分経っただろうか。
「遅れてすまん。支度に手間取った」
声のする方を向くと、武が息を切らしながら走って来ていた。
「おっそーい!!十三分遅刻!」
「ちょっとくらい良いじゃねぇか!そんなにぷりぷり怒ってっと皺が増えるぞ。お前は俺の母ちゃんか!」
「何言ってんのよ~」
そう言って二人で笑い合う。
「龍太はまだなのか?珍しいな。いつもなら時間ぴったりに来るはずなんだが・・・」
それから、二人で龍太が来るのを待った。
それでも、龍太が公園に来る気配は微塵もなかった。
幾ら何でもおかしい。遅過ぎる。
私達は龍太の家に行った。
玄関のインターホンを押す。
すると、龍太の母が出て来て、
「おばちゃん。龍太は家にいる?今日、一緒に星を見る約束をしてるんだけど」
龍太の母親は不思議そうな顔をして、
「龍太?龍太なら一時間くらい前にあんたらと星を見るんだと言って出掛けたよ。会わなかったのかい?」
私と龍太はぱちくりと目を合わせて、
「いえ、見てないです」
母親の顔から血の気がスッーと抜ける。
そして、手を顔に当てて
「どうしよう?こんな事今まで無かったのに」
私は、龍太の母親を元気つけたかった。彼なら大丈夫だと。
「龍太ママ、大丈夫だよ。龍太のことだからきっと、そこら辺の虫に夢中になっているんだよ」
「そうね、きっとそうよね」
私と武、そして、龍太の両親は行方不明となった龍太を捜した。探し始めてから二時間経ったが、龍太は何処にも見つからなかった。
暗いので、龍太の母親が「遅いから二人は帰りなさい」と言うので仕方がないので諦める事にした。
龍太の両親は、見つからない龍太に何か不吉な事が遭ったのではないかと心配していた。
私は何を思ったのか、
「あの、龍太君はきっと見つかりますよ。多分、星を見るのに夢中になっているんじゃないですかね」
こちらを向いた両親の目は虚としていて無気力だった。
彼女は、私たちが不安にならないようにと思ったのか、無理矢理笑顔を作って、
「そうね。真由ちゃんの言う通りよね。きっと星を見るのが待ちきれなくて何処かで夢中になってみているんだわ」
そう言った龍太の母親の声は、不安や心配の影響なのか震えていた。
私の心臓がドクンと大きく波打つ。
混乱して、頭の中が白くなる。
昨日まであんなに元気だったのに。
昨日まで一緒に帰っていたのに。
こんな事って・・・・・・ないよ。
「皆からは 私が話しておく。二人は大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
と武。
先生は、私の気持ちを察したのか、
「真由、保健室で寝て来なさい。」
「はい。」
私はぼんやりとした頭で保健室に行き、保健室の先生に体調不良という事でベットで寝させてもらった。
実感が全然湧かない。
今までずっと一緒にいた人がいきなりいなくなるなんて想像も出来ないよ。
真由は、ボッーと白く無機質な天井をぼんやりと見つめていた。
いきなりなんて、そんなの急すぎるよ。
真由の頭の中には走馬灯のように龍太との思い出が駆け巡る。
龍太は虫が嫌いで泣き叫んでいたっけ。
花飾りも作って遊んだし、島に公園の真ん中に一本だけ生えている桜の木の下で町の人達と花見も見たなぁ。
夏にはほぼ毎日三人で海で遊んだし、夜には満天の星空をずっと朝が来るまで三人で良く眺めてたよなぁ。その時に話す龍太の明るい声と眼鏡の中から見える輝く瞳が忘れられなかった。
秋には、枯葉や、木の枝を使って浜辺で三人でキャンプファイヤーをして夜空の星を眺めたよなぁ。龍太の楽しそうに話す横顔が忘れられない。
冬は、雪が降った日には三人で雪合戦をしたり雪だるまを作ったりして遊んだな。冬が一番夜空が綺麗だったな。夜空に散りばめられた宝石のようでこの時期の星が私も武も龍太もみんな大好きだったよな。この時期の星を眺める時は龍太も黙って星を眺めていたな。
目の縁からスッーと何かが流れていく。
「う、う、う・・・・・・龍太・・・・・龍太・・・・龍太・うう・う・・う」
心にいばらが絡みついて締め付けられる。
無数の棘が私の心に突き刺さり私の心はボロボロになりかけていた。
何時間寝ただろうか。
カーテンを開けて保健室内の時計を見ると、四時十三分を指していた。
すぐ側に鏡があったが自分が今どんな顔をしているのかなんて見たくなかった。
私は保健室を出て、校門を潜る。
すると、そこには、いつも通りの景色が広がっていた。
爛々と太陽に照りつけられて黄金に輝いている小麦畑、ザザザと森が震えている爽やかな音、そして、近くには川の涼しげな水音が聞こえてきた。
そんな普段気にしない日常の出来事に私は胸が締め付けられ、また、安らぎを感じる自分がいた。
こんなに自分の身近にいる人が唐突に死ぬなんて今まで考えてもいなかった。
でも、龍太が死んでも町の様子は全然変わっていなかった。
街行く人も周りにある自然も生き物も。変わったのは龍太を取り巻く私や武、龍太の両親などのほんの一握りだけだ。
そのほんの一握りの事が起こったからと言って世界が変わるわけでもない。
そんなものは大海原に水を一雫落とすようなものだ。
非日常は日常の中にあるのだなと私は感じていた。
私の家に着くと何だか安心した。
早く家に帰ってこられたからなのかご飯を今日も食べる事が出来るからなのか、はたまた、安全に今日も生きて帰る事が出来たからなのかは自分では良く分からない。
が、今日は特に体育があったわけでも無し、むしろベットでぐっすりと寝ていたのにとても体が重く、鉄の重りを体中に付けているような感じがした。
私はヨロヨロと階段を上がり自分の部屋に着くとベットに向かって突進をした。
横には小さい頃に誕生日に買って貰った、今の自分の身長の3分の2はあるであろうクマのぬいぐるみを抱きしめた。
私の心の息苦しさを埋めるかのように私は泣いていた。
私の心には大きな穴がぽっかりと空いていて涙でその穴を塞いでいる感じがした。
私は暗闇の中を一生懸命走っていた。 でも、その暗闇はどこまで行ってもどこまで行ってもゴールが見えなかった。ある地点まで行くと龍太がいた。
「龍太!」
私は龍太を追いかけるが、なぜか龍太はどんどん離れて行ってしまう。
「やだ!龍太!行かないで!行かないで!行かないで!」
それは自分が何者かに引っ張られていくような感覚だった。
龍太とつながっていた何かが少しずつ引きされていく。
龍太は少しずつ闇に引き込まれていった。
行かないで・・・行かないで・・・行かないで。なんで行ってしまうの?
置いて行かないで。
遂に龍太は闇に消えてしまった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
心臓を握りつぶされそうな感覚に襲われた。気づくと見覚えのある天井、そして、部屋にいた。
ああ、なんだ。夢か。
自分の手を握ると手汗が凄かった。
どうやら、制服服のまま寝てしまったらしく、制服のシャツも汗で体にべったりと着いておりブラウスが透けていた。
時計を見ると2時15分を指していた。取り敢えず、汗だくの体を流しに、風呂場に行く。家族は全員寝ているらしく、家の中は静かだった。私は一人シャワーを浴びた。
鏡の中の自分の裸体を見る。
細く綺麗な体をしていた。
私もいつか死んでしまうのだろうか。
もし、私が死んでしまったら武やお母さん、お父さん、それに弟だって悲しんでしまうだろう。
シャワーから出るお湯が温かく心地よかった。
この温もりも死んでしまったら感じなくなるのだろうか。
美味しいご飯を食べる事も友人と学校の帰り道にアイスを食べる事も出来なくなってしまう。そんなの嫌だ!絶対に!
私はお風呂から出て体を拭き、寝間着を着る。
自分の両手をふと眺める。
小さく白い手。
何かを掴めそうで掴めない。
そんな手をしていた。
私もいつか死んでしまうのだろうか。
死んだら私はどうなってしまうのだろうか。
地獄や天国に堕ちる?それとも暗闇の中で彷徨い続ける?
龍太は今どうしているのだろうか。
一人で暗い所に閉じ込められているのだろうか。
私は自分の部屋に戻り自分の勉強机の椅子に座り小学校の頃から毎日つけている日記帳を開く。
「『死ぬ』ってどういう事なんだろう?脳死になった時?心臓が動かなくなった時?天国や地獄がどうのとか言う人がいるけれどそれはないと思う。そんなものは人が勝手に想像したものに過ぎない。だけれど、私はこれだけは言える。私の思い出の中にある龍太の爽やかな声や冬の日のあの星を見る龍太の真剣な顔が忘れられない。まだ、龍太はわたしの中に生きているんだっていう感覚がある」
私は日記を書き終えると、体が鉛のように重かった。私は、自分のベットへ直行し、そのままうつ伏せに倒れてぬいぐるみを抱きしめる。
「チュンチュン」
朝、小鳥の鳴き声で私は目覚めた。
時計を見ると6時を指していた。
私は朝ごはんを食べ、制服に着替えて学校に行こうとしたその時だった。
心臓が握られる感覚に襲われた。
「く・・・」
それを見ていた弟と母が私の異変に気付いて近づいてきた。
「姉ちゃん!」
「ちょっと真由、大丈夫?」
結局、その日は学校に行くことは出来なかった。
私はずっと自分の部屋で好きな漫画を読んでいた。
時々、武からLINEが来た。
「どうした?今まで休んだことないのに」
とか
「体調不良!?お見舞いに行こうか?」
とか近所のおばあちゃんのような事を言ってきた。
相変わらずだなぁと私は思いながらも、武のその心遣いが好きだった。
ほんのりと自分の心が和らいで行く感じがした。
下校時間になり、私と武は近くの公園で会うことにした。
私は武より先にいつもの公園に着いた。
昨日のことを思い出してしまうようで待っている間とても怖かった。
「真由、大丈夫なのか?」
武はそう言いながら近づいてきた。
「うん。大丈夫」
私はへへと照れ笑いをした。
本当に心配してくれているのだなと私は思った。
「それじゃ、行こっか」
「うん」
6時だったが空はもう暗かった。
龍太がいないのが堪らなく悲しかった。
彼に会うことはもう二度と無いのだ。
武はいきなり私の手を握ってきた。
「ちょっ!?」
私は反射的に手を離そうとしたが、武は強く手を握りしめてきた。
彼の手は温かくてゴツゴツとしていて大きかった。
男の子の手なんだなぁと少し嬉しかった。
周りの景色は少しも変わっていなかった。
田んぼの間にポツポツと建っている家々。海の潮の匂い。
海に近づくにつれて潮の匂いが強くなっていった。
空は満開の星で輝いていた。
私と武はいつも通り浜辺で寝っ転がった。
海風が私たちの心を癒していく。
「星、綺麗だよな」
「うん」
武の眼差しは何だか哀しそうだった。
「龍太はこの星の中にいるのかな」
私はよく考えると何を言っているのかよく分からないが、武の言葉は不思議と感覚的に理解出来た。
「いるんじゃないのかな?私はこの中に武がいる事を信じたいよ」
「俺もだ。俺も・・・」
そう言う武の瞳からは涙が溢れ落ちていた。
「龍太は、俺たちの中に生き続けているんだと俺は思う」
「え?」
私は武の言っている意味がよく分からなかった。
「龍太は確かに死んだ。だけど、龍太と過ごした時間や思い出や言葉は俺たちの心に残り続けるんだと俺は思いたい」
その時、私は「そうだな。確かにその通り」だと思った。
人はいつか必ず死んでしまう。
だけど、その人の生きた証っていうのはその人の今まで関わってきた人達の中に残り続けて行くんだと思う。
そう考えると、人は永遠に生き続けるんだと私は思った。
人と人の繋がりの中で人は生きている。
そして、その繋がりは時代や世代を超えて人々を繋いでいくバトンなんだと。
私の中にも武が生き続けているんだなぁと感じた。
もちろん、龍太の中にも、担任の先生の中にもクラスメートにも。
人を大切にするっていうことはつまり、そういうことなんだと私は思う。
たとえ、私が死んでも家族や龍太心の中に私は生き続ける。
人は人の繋がりの中で生きているんだ。私は少なくともそう思うし、そう思いたい。
紺青色の海が月明かりに照らされて銀色に輝いている。
私は海風に吹かれながら隣にいる幼馴染、北山武に聞いてみた。
「多分、喜ぶんじゃねぇのかな。あいつ、俺たちの中で一番星や星座が好きだったし。あの事もあるし。」
私は、北山 武くんのその言葉を聞いて、心がほんのりと温まる気がした。
「そうだよね。龍太、とても星が好きだったもんね。龍太いつも『僕は星を何時間見てても飽きない。
星ほど美しく、綺麗なものは無い。
望遠鏡で見たら一層綺麗だ。
宇宙空間で起きている自然現象は、僕にとってこれ程知的好奇心を唆られるものは無い。その星の生と死の誕生を僕は解き明かしたいんだよ』って言っていたもんね。何よりも、そして、誰よりも星を愛していたと私は思うな」
同じ海、同じ星空、同じ地平線、同じ月、みんな見ているものは一緒の筈なのに、何故か同じものを見て感じることはこんなにも違う。
それが、嬉しいのか、悲しいのかは分からないけれど、何故か、こんなにも近いのに何処か遠いところにいる気がして仕方がなかった。
私は、夜空に無数に輝く星空を見上げながら、十年前のあの日の事を思い出 していた。
十年前のあの日、小学校二年生だった私達は、学校が終わると、一旦家に帰ってそこから学校の近くにある公園で待ち合わせをし、そこから釣りや星空観察、虫捕りをして遊んでいた。
その日もいつも通り、星空観察をする為に、公園に十八時に集合の約束をしていた。
一番早く公園に着いたのは私だった。
私は、腕時計をちらりと見る。
腕時計の針は、集合時間の六時を指していた。
それから約十分経っただろうか。
「遅れてすまん。支度に手間取った」
声のする方を向くと、武が息を切らしながら走って来ていた。
「おっそーい!!十三分遅刻!」
「ちょっとくらい良いじゃねぇか!そんなにぷりぷり怒ってっと皺が増えるぞ。お前は俺の母ちゃんか!」
「何言ってんのよ~」
そう言って二人で笑い合う。
「龍太はまだなのか?珍しいな。いつもなら時間ぴったりに来るはずなんだが・・・」
それから、二人で龍太が来るのを待った。
それでも、龍太が公園に来る気配は微塵もなかった。
幾ら何でもおかしい。遅過ぎる。
私達は龍太の家に行った。
玄関のインターホンを押す。
すると、龍太の母が出て来て、
「おばちゃん。龍太は家にいる?今日、一緒に星を見る約束をしてるんだけど」
龍太の母親は不思議そうな顔をして、
「龍太?龍太なら一時間くらい前にあんたらと星を見るんだと言って出掛けたよ。会わなかったのかい?」
私と龍太はぱちくりと目を合わせて、
「いえ、見てないです」
母親の顔から血の気がスッーと抜ける。
そして、手を顔に当てて
「どうしよう?こんな事今まで無かったのに」
私は、龍太の母親を元気つけたかった。彼なら大丈夫だと。
「龍太ママ、大丈夫だよ。龍太のことだからきっと、そこら辺の虫に夢中になっているんだよ」
「そうね、きっとそうよね」
私と武、そして、龍太の両親は行方不明となった龍太を捜した。探し始めてから二時間経ったが、龍太は何処にも見つからなかった。
暗いので、龍太の母親が「遅いから二人は帰りなさい」と言うので仕方がないので諦める事にした。
龍太の両親は、見つからない龍太に何か不吉な事が遭ったのではないかと心配していた。
私は何を思ったのか、
「あの、龍太君はきっと見つかりますよ。多分、星を見るのに夢中になっているんじゃないですかね」
こちらを向いた両親の目は虚としていて無気力だった。
彼女は、私たちが不安にならないようにと思ったのか、無理矢理笑顔を作って、
「そうね。真由ちゃんの言う通りよね。きっと星を見るのが待ちきれなくて何処かで夢中になってみているんだわ」
そう言った龍太の母親の声は、不安や心配の影響なのか震えていた。
私の心臓がドクンと大きく波打つ。
混乱して、頭の中が白くなる。
昨日まであんなに元気だったのに。
昨日まで一緒に帰っていたのに。
こんな事って・・・・・・ないよ。
「皆からは 私が話しておく。二人は大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
と武。
先生は、私の気持ちを察したのか、
「真由、保健室で寝て来なさい。」
「はい。」
私はぼんやりとした頭で保健室に行き、保健室の先生に体調不良という事でベットで寝させてもらった。
実感が全然湧かない。
今までずっと一緒にいた人がいきなりいなくなるなんて想像も出来ないよ。
真由は、ボッーと白く無機質な天井をぼんやりと見つめていた。
いきなりなんて、そんなの急すぎるよ。
真由の頭の中には走馬灯のように龍太との思い出が駆け巡る。
龍太は虫が嫌いで泣き叫んでいたっけ。
花飾りも作って遊んだし、島に公園の真ん中に一本だけ生えている桜の木の下で町の人達と花見も見たなぁ。
夏にはほぼ毎日三人で海で遊んだし、夜には満天の星空をずっと朝が来るまで三人で良く眺めてたよなぁ。その時に話す龍太の明るい声と眼鏡の中から見える輝く瞳が忘れられなかった。
秋には、枯葉や、木の枝を使って浜辺で三人でキャンプファイヤーをして夜空の星を眺めたよなぁ。龍太の楽しそうに話す横顔が忘れられない。
冬は、雪が降った日には三人で雪合戦をしたり雪だるまを作ったりして遊んだな。冬が一番夜空が綺麗だったな。夜空に散りばめられた宝石のようでこの時期の星が私も武も龍太もみんな大好きだったよな。この時期の星を眺める時は龍太も黙って星を眺めていたな。
目の縁からスッーと何かが流れていく。
「う、う、う・・・・・・龍太・・・・・龍太・・・・龍太・うう・う・・う」
心にいばらが絡みついて締め付けられる。
無数の棘が私の心に突き刺さり私の心はボロボロになりかけていた。
何時間寝ただろうか。
カーテンを開けて保健室内の時計を見ると、四時十三分を指していた。
すぐ側に鏡があったが自分が今どんな顔をしているのかなんて見たくなかった。
私は保健室を出て、校門を潜る。
すると、そこには、いつも通りの景色が広がっていた。
爛々と太陽に照りつけられて黄金に輝いている小麦畑、ザザザと森が震えている爽やかな音、そして、近くには川の涼しげな水音が聞こえてきた。
そんな普段気にしない日常の出来事に私は胸が締め付けられ、また、安らぎを感じる自分がいた。
こんなに自分の身近にいる人が唐突に死ぬなんて今まで考えてもいなかった。
でも、龍太が死んでも町の様子は全然変わっていなかった。
街行く人も周りにある自然も生き物も。変わったのは龍太を取り巻く私や武、龍太の両親などのほんの一握りだけだ。
そのほんの一握りの事が起こったからと言って世界が変わるわけでもない。
そんなものは大海原に水を一雫落とすようなものだ。
非日常は日常の中にあるのだなと私は感じていた。
私の家に着くと何だか安心した。
早く家に帰ってこられたからなのかご飯を今日も食べる事が出来るからなのか、はたまた、安全に今日も生きて帰る事が出来たからなのかは自分では良く分からない。
が、今日は特に体育があったわけでも無し、むしろベットでぐっすりと寝ていたのにとても体が重く、鉄の重りを体中に付けているような感じがした。
私はヨロヨロと階段を上がり自分の部屋に着くとベットに向かって突進をした。
横には小さい頃に誕生日に買って貰った、今の自分の身長の3分の2はあるであろうクマのぬいぐるみを抱きしめた。
私の心の息苦しさを埋めるかのように私は泣いていた。
私の心には大きな穴がぽっかりと空いていて涙でその穴を塞いでいる感じがした。
私は暗闇の中を一生懸命走っていた。 でも、その暗闇はどこまで行ってもどこまで行ってもゴールが見えなかった。ある地点まで行くと龍太がいた。
「龍太!」
私は龍太を追いかけるが、なぜか龍太はどんどん離れて行ってしまう。
「やだ!龍太!行かないで!行かないで!行かないで!」
それは自分が何者かに引っ張られていくような感覚だった。
龍太とつながっていた何かが少しずつ引きされていく。
龍太は少しずつ闇に引き込まれていった。
行かないで・・・行かないで・・・行かないで。なんで行ってしまうの?
置いて行かないで。
遂に龍太は闇に消えてしまった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
心臓を握りつぶされそうな感覚に襲われた。気づくと見覚えのある天井、そして、部屋にいた。
ああ、なんだ。夢か。
自分の手を握ると手汗が凄かった。
どうやら、制服服のまま寝てしまったらしく、制服のシャツも汗で体にべったりと着いておりブラウスが透けていた。
時計を見ると2時15分を指していた。取り敢えず、汗だくの体を流しに、風呂場に行く。家族は全員寝ているらしく、家の中は静かだった。私は一人シャワーを浴びた。
鏡の中の自分の裸体を見る。
細く綺麗な体をしていた。
私もいつか死んでしまうのだろうか。
もし、私が死んでしまったら武やお母さん、お父さん、それに弟だって悲しんでしまうだろう。
シャワーから出るお湯が温かく心地よかった。
この温もりも死んでしまったら感じなくなるのだろうか。
美味しいご飯を食べる事も友人と学校の帰り道にアイスを食べる事も出来なくなってしまう。そんなの嫌だ!絶対に!
私はお風呂から出て体を拭き、寝間着を着る。
自分の両手をふと眺める。
小さく白い手。
何かを掴めそうで掴めない。
そんな手をしていた。
私もいつか死んでしまうのだろうか。
死んだら私はどうなってしまうのだろうか。
地獄や天国に堕ちる?それとも暗闇の中で彷徨い続ける?
龍太は今どうしているのだろうか。
一人で暗い所に閉じ込められているのだろうか。
私は自分の部屋に戻り自分の勉強机の椅子に座り小学校の頃から毎日つけている日記帳を開く。
「『死ぬ』ってどういう事なんだろう?脳死になった時?心臓が動かなくなった時?天国や地獄がどうのとか言う人がいるけれどそれはないと思う。そんなものは人が勝手に想像したものに過ぎない。だけれど、私はこれだけは言える。私の思い出の中にある龍太の爽やかな声や冬の日のあの星を見る龍太の真剣な顔が忘れられない。まだ、龍太はわたしの中に生きているんだっていう感覚がある」
私は日記を書き終えると、体が鉛のように重かった。私は、自分のベットへ直行し、そのままうつ伏せに倒れてぬいぐるみを抱きしめる。
「チュンチュン」
朝、小鳥の鳴き声で私は目覚めた。
時計を見ると6時を指していた。
私は朝ごはんを食べ、制服に着替えて学校に行こうとしたその時だった。
心臓が握られる感覚に襲われた。
「く・・・」
それを見ていた弟と母が私の異変に気付いて近づいてきた。
「姉ちゃん!」
「ちょっと真由、大丈夫?」
結局、その日は学校に行くことは出来なかった。
私はずっと自分の部屋で好きな漫画を読んでいた。
時々、武からLINEが来た。
「どうした?今まで休んだことないのに」
とか
「体調不良!?お見舞いに行こうか?」
とか近所のおばあちゃんのような事を言ってきた。
相変わらずだなぁと私は思いながらも、武のその心遣いが好きだった。
ほんのりと自分の心が和らいで行く感じがした。
下校時間になり、私と武は近くの公園で会うことにした。
私は武より先にいつもの公園に着いた。
昨日のことを思い出してしまうようで待っている間とても怖かった。
「真由、大丈夫なのか?」
武はそう言いながら近づいてきた。
「うん。大丈夫」
私はへへと照れ笑いをした。
本当に心配してくれているのだなと私は思った。
「それじゃ、行こっか」
「うん」
6時だったが空はもう暗かった。
龍太がいないのが堪らなく悲しかった。
彼に会うことはもう二度と無いのだ。
武はいきなり私の手を握ってきた。
「ちょっ!?」
私は反射的に手を離そうとしたが、武は強く手を握りしめてきた。
彼の手は温かくてゴツゴツとしていて大きかった。
男の子の手なんだなぁと少し嬉しかった。
周りの景色は少しも変わっていなかった。
田んぼの間にポツポツと建っている家々。海の潮の匂い。
海に近づくにつれて潮の匂いが強くなっていった。
空は満開の星で輝いていた。
私と武はいつも通り浜辺で寝っ転がった。
海風が私たちの心を癒していく。
「星、綺麗だよな」
「うん」
武の眼差しは何だか哀しそうだった。
「龍太はこの星の中にいるのかな」
私はよく考えると何を言っているのかよく分からないが、武の言葉は不思議と感覚的に理解出来た。
「いるんじゃないのかな?私はこの中に武がいる事を信じたいよ」
「俺もだ。俺も・・・」
そう言う武の瞳からは涙が溢れ落ちていた。
「龍太は、俺たちの中に生き続けているんだと俺は思う」
「え?」
私は武の言っている意味がよく分からなかった。
「龍太は確かに死んだ。だけど、龍太と過ごした時間や思い出や言葉は俺たちの心に残り続けるんだと俺は思いたい」
その時、私は「そうだな。確かにその通り」だと思った。
人はいつか必ず死んでしまう。
だけど、その人の生きた証っていうのはその人の今まで関わってきた人達の中に残り続けて行くんだと思う。
そう考えると、人は永遠に生き続けるんだと私は思った。
人と人の繋がりの中で人は生きている。
そして、その繋がりは時代や世代を超えて人々を繋いでいくバトンなんだと。
私の中にも武が生き続けているんだなぁと感じた。
もちろん、龍太の中にも、担任の先生の中にもクラスメートにも。
人を大切にするっていうことはつまり、そういうことなんだと私は思う。
たとえ、私が死んでも家族や龍太心の中に私は生き続ける。
人は人の繋がりの中で生きているんだ。私は少なくともそう思うし、そう思いたい。